今日の「CA読み」メモ・夏の誓文払い: 地域映像、舞台演劇のアーカイブ、江北図書館、文化財データリポジトリ・文化財オンラインライブラリー 他

・E2661 – 豊かなコミュニティのための公共図書館サービス(米国)
https://current.ndl.go.jp/e2661
「報告書では特に、40.8%の図書館が非公式ながらも行っている「食料不安の改善」に向けたサービス(E2602参照)について言及している。フードバンク等の地域団体と提携し、図書館を拠点に無料の食事キットを配布する取組等を紹介している」

・E2663 – 第88回IFLA年次大会目録分科会<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2663
「現存の生成AIを目録作成に転用するのではなく、目録作成に特化させたAIツールを開発するのが望ましい」

・E2665 – 「市民活動資料」所蔵3館による合同シンポジウム<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2665
「市民アーカイブ多摩は、市民が運営するアーカイブとして、資料を作る人・整理する人・使う人が集い、提案し、話し合いながら作っていく公共空間」

・E2667 – SPARC Japanセミナー2023<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2667
「SPARC Japanセミナー2023「即時OAに備えて:論文・データを「つかってもらう」ためのライセンス再入門」「当日の講演資料や動画はSPARC Japanのウェブサイトにて公開されているので、詳しくはそちらを参照されたい。」

・E2668 – ダブリンコアとメタデータの応用に関する国際会議(DCMI2023)
https://current.ndl.go.jp/e2668
「メタデータをシンプルに保つことの重要性…メタデータの項目を増やして過剰に詳細化するのではなく、リンクトデータによって、利用者が必要な時に必要なデータを参照できるかたち

・E2669 – デジタル時代のオランダ国立図書館の挑戦<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2669
「図書館が社会的な価値を提供し続けていくには、一機関としての成功だけを考えるのではなく、連携して社会的な課題に取り組むことで、一機関では達成できない成果を実現」

・E2671 – 安全で包摂的な図書館サービス運営の実践ガイド(英国)
https://current.ndl.go.jp/e2671
「例えばコレクション管理の場合、公共図書館は利用者のニーズに対して価値判断をせず、多様な情報や意見、アイデアへの自由なアクセスを提供することが最も重要となる。そのため、時には過激とされるような主張が書かれた資料や時代遅れとされるような資料を提供することもある。それらの資料の扱いや、知的自由の保障という図書館の理念と資料を提供することによる地域社会への影響について、場合によっては地域の人々と共に協議し、決定しておくことが求められる。そしてその決定は文書化する必要がある」

・E2673 – ドーナツ・プロジェクト2023シンポジウム<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2673
「2023年12月13日、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館主催により、シンポジウム「ドーナツ・プロジェクト2023―舞台芸術に携わる人のためのアーカイブガイドブックつくりました―」」
「米国演劇のアーカイブを支援する団体American Theatre Archive Project(ATAP)発行による演劇アーカイブのマニュアル“Preserving Theatrical Legacy”を2022年度に和訳し、本事業のウェブサイトで公開した。しかし、興行形態や創作過程が米国とは全く違う日本の舞台芸術業界のアーカイブ活動では、そのまま参照することは難しい。そのため2023年度には、日本の舞台芸術アーカイブに特化した手引書を作成した」
「これまで舞台芸術界では、一つの作品や公演に関する資料が多岐に渡るため、それらを残すことに注力してこなかった」
舞台芸術に携わる人々が作品やその創作過程などを「残す」意識を持つように変化していく必要があること、そのためには本事業で作成したガイドブックや権利処理などの知識を提供する場が必要であること」

・E2676 – 「鳥取県立鳥取西高等学校デジタルコレクション」の公開
https://current.ndl.go.jp/e2676

・E2682 – いしかわデジタルアーカイブ講座&ディスカッション<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2682
「にいがたMALUI連携・地域データベース」「新潟大学が地域の個人や組織と連携して発掘した映像メディアをアーカイブした「地域映像アーカイブ」」
デジタル化によりこのような映像資料などが実は膨大に存在することが顕在化し、地域資料の活用の在り方が変わっていくのではないか」

・E2684 – 脚本アーカイブズシンポジウム2024<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2684
「司会の吉見氏はアーカイブを地域に根付かせる重要性を「祭り」に重ね、文化の継承こそアーカイブの重要な仕組みではないかと結び」

・E2685 – Z世代・ミレニアル世代の図書館利用と読書事情(米国)
https://current.ndl.go.jp/e2685
「米国デジタル公共図書館(DPLA;E2188参照)が運営する図書館向けの電子書籍販売サイト“Palace Marketplace”(E2432参照)で、Amazon PublishingやAudibleのコンテンツへのアクセス権を購入できる」

・E2690 – 「JATDT舞台美術作品データベース」の公開とその意義
https://current.ndl.go.jp/e2690
「終戦直後の舞台美術家は、沢山の資料・書籍を残してきた。しかし、約30年前、当時大学生であった筆者は、大学の図書館以外でこれらの情報を探し出すことが出来なかった。現在は教職に就いているが、学生から、「舞台美術に関する情報がない」「どう勉強したら美術家になれるのかがわからない」「調べてもほとんど出てこない」と常々言われてきた。インターネットは進化したが、アナログ要素の多い舞台美術は、この30年間あまり進歩してこなかったように感じる」

・E2692 – 図書館を未来につなぐ江北図書館の活動<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2692
 全編勉強になる話

・E2693 – 京都の文化と生物多様性:標本のデジタル化の意義<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2693

・E2695 – 「これからの地域資料データの継承・共有を考える」<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2695

・E2698 – 加西市立図書館における「加西STEAM」への取組
https://current.ndl.go.jp/e2698
「STEAMのA(芸術・リベラルアーツ)を重視することを心がけてきた。それは、図書館のイベントだけでは本格的な技術や知識を習得することは難しいため、できるだけ感性に訴えかけられる内容にし、一度の機会でも印象に残るようにする」
家庭でも学校でも満たすことのできない好奇心を満たせる場所が必要なのではないか。そうした要求に応え、「ここにくれば面白いことができる」という場所でいられるように」

・E2699 – データ再利用性と論文アクセス性の向上に向けた奈文研の取組
https://current.ndl.go.jp/e2699
奈良文化財研究所・高田祐一
「奈良文化財研究所(奈文研)では、2024年1月に「文化財データリポジトリ」を、また同年3月に「文化財オンラインライブラリー」を全国遺跡報告総覧(以下「遺跡総覧」)のウェブサイト内で公開した」
「調査や論文を単位とするデータセット(調査時の計測データ、写真や論文に掲載する図面、3次元データ等)を登録する」「3次元データをそのまま扱うことで、情報の欠落なく貴重な調査成果を新たな研究観点で再利用できる」「各データは、個別に利用ライセンスが設定され、ダウンロードできる」
「文化財オンラインライブラリーでは、論文を掲載できる。文化財データリポジトリに登録したデータセットを読み込むかたちで、論文にデータを利用できる」「PDF形式ではなくWebページ化することで、検索エンジンから劇的にアクセスされやすくなる」「ウェブページにて公開することで組版作業は不要になる。また登録作業がウェブ画面で行われるため、組版等のDTPスキルがない人でも登録が可能になる」「データごとにID管理するため、データ自体への引用を可視化できる」

・E2700 – 英国図書館へのサイバー攻撃に関する報告書
https://current.ndl.go.jp/e2700
「早期に従来の状態に戻すこととセキュリティ向上のための変更との間に生じる齟齬のリスク、技術部門のスタッフの人員不足等のリスク」

・E2701 – 第19回レファレンス協同データベース事業フォーラム<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2701
「レファレンスサービスでは、答えを探すことを中心に考えてしまいがちであり、それはAIを利用する際にも同様である。しかし、「学ぶ」というのは「答えのないこと」を追究することであり、レファレンススキルについても、そうした「分析」にまで踏み込んだスキルが求められるのかもしれない」

ネットが無かった30年前の学生はどうやって勉強してたのか、という想い出がたり 検索編

 とあるご縁、とあるところからの依頼で、30年前、スマホもインターネットも無かった頃って、大学生はどんなふうに勉強してたんですか?的なことを人に問われてお話しする、という機会があったので、そこでお話ししたことをまとめてみました。
 ご依頼が去年(2023年)のことなので、30年前だと1993年になります。その頃の我が輩ことegamidayさんは、京都のとあるホルモー的な大学の文学部生で、教養的雑多な学びから専攻の日本文学(註:「国文学」)、中でも古典文学(中世)を中心に勉強してたあたりで、演習・講読あり、レポートあり、翌年は卒論ありという身にありながら、ネットも無え、パソコンも無え、GoogleもCiNiiもJapanKnowledgeも無え、え、そんな状態でいったいどっからどう情報探してたんだっけ?ということを、思い出し想い出ししながら語る、というメモです。
 検索の日の1993、的な感じで。

 想い出ですのでいろんな補正やバイアスや記憶の穴、極私的な経験なのでムラや過不足が、もちろんあります。あと司書科目の受講はさらにこのあとなので、なんとこんなツールがあったのね、的なことを知るのも先の話です。

●カード目録、全部見る

 とは言え1993年当時、図書館のOPAC的なのは辛うじてありました、まあ「あった」だけでほんとに激辛の辛うじてですが。インターネットは無い(注:文系の一学生が普段遣いできるほどの普及ではない、の意)から、図書館のロビー的なところにゴテゴテと並んでた書院(説明略)の劣化版みたいな専用端末でだけ検索できるやつで、黒字にオレンジの液晶画面というレトロめいたやつで、とにかく漢字変換がポンコツで、しかも古典関連の固有名詞や専門用語など辞書変換してくれないから単漢字単漢字単漢字の連続で入力にやたら時間がかかる。処理能力が低いのか回線が狭いのか知らんが、検索結果が帰ってくるのにもフリーズしたと思い込まされるくらいにやたら時間がかかり、いったん書架に別の本探しに行って、戻ってきた頃に表示されてるかなと思いきや、結局ヒットしてくれてないという。
 ヒットしないと言っても、まずデータとしてあるはずなのにヒットしないパターン、そんなのは早くにあきらめてました。加えて「遡及入力」という概念があって、この学部の本や1980ン年以前の本はまだデータが入ってません、っていうじゃない、古典文学やろうっつってたら幾昔前の本も見なきゃなので、じゃあそれは今度はカード目録のほうも必須で検索しにいく、ということになります。当時はまだ、データベースとカード目録とを併行して更新してた頃だったりしたと思うので、だったら最初っからカード目録で探した方がよっぽど早いわい、ってなる。

 もちろんカード目録の書名も著者名も、大量にあるのを一枚一枚見なきゃいけないし、前方一致でしかないし、件名目録だってだいたいでしか使いものにならないってことは、小学校の頃に最寄りの公共図書館(註:西方の政令指定都市の区立図書館が通学路上にあった)で司書の人に教えてもらって使ってた頃から薄々感づいてたんですが、それでもそれっぽいあたりのカードを端からめくって見るほうがよっぽどマシ、って思えるくらいのOPACのヘッポコ具合だったとご理解ください。カード全めくりくらいはいちいち躊躇しない、つべこべ言わずに端から端まで全部並べて見せてみろ、ってやつです。
 なおこれは完全に余談ですが、当時の文学部図書室のカード目録は専攻分野ごとに分かれてて、そのうちの国文学専攻のカード目録は戦前からメンテされ続けてきたからでしょう、あろうことかヨミが旧仮名遣いで付与・配列されており(注:もしかして現役かも)、もちろん新着図書に旧仮名遣いヨミを付与できるほどのリソースが職員さん側にはすでに無いので、それをやるのが当時のうちの専攻の院生の仕事(=タダ働きにも程がある)でした。おかげでこういうこと>https://x.com/egamiday/status/1818426569632915813 はいまも気になる。

 そんな状態なので、まあ結局自分で本棚の前に立って全冊見通した方が早いよね、という帰結も致し方ないわけで、ブラウジングが大事、というよりは、ブラウジングほぼ一択の場面も少なくない。だから開架または入庫がマジで大事、死活問題、じゃなきゃ探せないんだもの。だから閉架措置はいま以上に炎上してたと思います。
 で、それを毎日やってたら、どの棚の何番目にどの本があるかはなんとなく覚えてるという。先生なんかは、入口から何歩行ったとこにこの本がある、足が覚えてる的な話をよくしてましたね。

 図書館での本の探し方はそうでしたが、買う本を探すツールとして自分は『日本書籍総目録』をよく使ってました。

 在庫がある(という建前)になってるから、それ見て買えるなら買おう、っつって。図書館でももちろん見るけど、そのころの本屋は大きめのところなら売り場の棚にたいてい置いてあってそれを見たり、駸々堂(注:喫茶店ではない)とかでもレジの後の棚にあるのを見せてもらって探してました。結局、買えるリスト、というのが安心感だったような気がしますね、入手できないと意味ないし。あとそのころは、本屋の店員さんに尋ねると業務用ので検索してくれてたような気もする。新刊書店ではバイトした経験が無いのでそのあたりはよくわかんないです。古書店も、古書でありそうな本はだいたい図書館にあったので、バイトをちょっとしてたくらいの距離感、このへんは対象が近世や近代の人はだいぶ事情が違うと思います。

 で、図書館のお仕事に就く直前くらいにwebOPACが出たりして、いやいや、いままでの苦労わい、てなりますよね。

●カンと眼力で論文を探す

 レポートから卒論にとりかかり始めると、論文検索が本格的に必要になってくるんですけど、理工系はもちろん知りませんが、オンラインの文献データベースで古典文学の論文を探すなんてことはあり得なかったので、冊子体の雑誌記事索引をひたすら目でスキャンしていく、という感じでした。
 日外アソシエーツさんが出してる論文索引が、日本の古典文学(とか、なんとか学という分野ごと)で、例えば19○○年から○○年までの10年間に出た論文を、「徒然草」とか「何々」とかの作品ごとやトピックごとに分類してリストアップしてくれてるので、まずそれを見ます。

 それが10年ごととか15年ごととかで定期的に分冊刊行されてるんだな、っていうことがわかるので、遡って(古典文学分野なので数十年はざらに)確認していきます。
 ですけど紙の索引なので、「徒然草」項目のページに載ってないけど徒然草に関係あるかもしれない論文、というのはそのままでは探せない、例えば、源氏物語や漢詩の論文の中に徒然草が言及されてるかもしれないと思うと、そちらの項目のページも念のため見に行く。そこはだいたいカンです。しかも論文タイトルに「白居易と徒然草」みたいに明確に書いてくれてたらまだ探せる(注:たぶんそのタイトルなら「徒然草」項目にあがってる)んですけど、「白居易と鎌倉文学」とか「白居易と仏教文学」とか「白居易と随筆」みたいに書いてる論文があると、………あ、あ、ちょっと待って、いまのもしかしたら関係あるんちゃう? って、がんばって目を留めないといけない。カンと眼力です。なお、「白居易と鎌倉文学」だと『日本文学』分野の論文索引に収録されてくれてるからまだよくて、「白居易の日本への影響」の中にも徒然草の言及あるかもみたいになると、中国文学分野だか日本史分野だか国語学分野だか、わからないので、気がつくと、もう何時間も参考図書書架のまわりをうろちょろしてるし、机に知らん分野の雑誌記事索引が山積みになったりしてました。
 しかも、ほんとに徒然草の言及あるのか、あったとして自分のほしい情報なのか、それはもう本文読むまでわからない。

 本文読むまでわからない、ってことは本文読みにいかなきゃいけないわけで、そこがまたリンクでPDFとかではない、うちの大学はまだわりと雑誌類のバックナンバーをたんまり持ってるセンターのようなとこだったからマシかもですが、学内に無いとなると、このへんから「所在情報」の探索が必要になってきてたような気がします。つまり、近隣の自転車で行ける大学図書館にあるのか、遠方しかなくてILL文献複写のサービスを利用することになるのか、それによって、このあと取る行動もかかる時間・お金もがらっと変わる。ネットが無いということは、距離が行動の分かれ道になるということですね。CiNiiはもちろんNACSISWebcatすらギリギリまだ無くて、『学術雑誌総合目録』という、いまではどこの図書館でも邪険に扱われてそうな紙ツールですけども当時はこれ無しには夜も日も明けない神ツールだったので、それで確認すると、どうも近隣の大学図書館には無い、でももしかしたら市内の府立図書館や総合資料館とかにワンチャンあるかも(注:当時そんな言葉は無い)と思って、岡崎や北山まで自転車で行って、そこにあるカード目録や冊子目録ひいて、無くて帰ってくる、ていう。
 ちなみに、探してるのが雑誌なら『学術雑誌総合目録』でわかるんだけど、図書の場合はレファレンスカウンターできくと、業務用の魔法のパソコンで調べてくれてたので、あれがたぶんNACSIS-CATかなんかだったんでしょう。
 で、遠隔の文献複写取り寄せになると、申し込みもオンラインじゃないから、開館時間中に図書館のカウンターに行って、専用の申込用紙に一枚一枚手で記入して、しかもその時には『学術雑誌総合目録』の雑誌書誌IDを自分で書かないと受け付けてもらえないから再度ひきに行って、その後のバックヤードの処理がどれくらいオンラインなのかは知りませんが、届くのを2週間くらい待つ、いまこれ書いてて、それでも随分便利になったんだなあとは思うのですが、肝心の文献がPDFで届く時代になってないんだからいまほんとに21世紀?て思いますよね。
 それで2週間待って、数百円払って、読んでみたところが、内容的には箸にも棒にも引っかからない。その繰り返しだったような気がします。なお、理工系の論文にはアブストラクトなる夢のような仕組みが存在する、と知ったのは司書系の勉強を始めるもう少し後の話です。

 冊子体の雑誌記事索引の話に戻ると、日外さんなんかは索引編纂に長けた出版社でしょうけど、とはいえ、古典文学に特に強い出版社とかではないので、わりとポロポロ漏れてる雑誌や論文もあったと思うんですが、それを補うのに『国文学年鑑』というのがあって、その年の研究動向と基礎情報なんかに加え、その年に発表された国文学分野の論文がごっそり収録されてるので、それも見る、っていうことをしてました。

 え、じゃあ最初からそっち見ればいいのではとも思うのですが、年鑑は年鑑で索引として使いやすいというわけでもなかったからかな、ちょっとよくわかりません。『国文学年鑑』はすでに継続刊行されてないですが、その論文情報が現在の国文学研究資料館のデータベース(国文学・アーカイブズ学論文データベース(https://ronbun.nijl.ac.jp/))につながってるわけです。そのデータベースの前身はあのころにもあったかどうかちょっと覚えてませんが、あったとて一学部生が普段遣いできたわけではないんでしょうたぶん。東京の国文研まで実際に行けば使えたんだろうか。

 あとは、いわゆる芋づる式、先生・先輩・友達に聞く、著者(研究者)から探す、というようなお決まりなやつですけど、その他に、日本文学や古典文学は研究者人口だけでなく学生人口も多いし、ていうか一般読者にもリーチする分野なおかげだと思うんですが、概説・通史・叢書のような書籍が、比較的短い期間にたくさんの出版社から出るのでそれが使える、というのと、専門雑誌(『国文学』『解釈と鑑賞』の類)が何年かに1回特集を組んでくれるので、そこに文献情報もたくさん載る、そう考えると随分恵まれた分野だったんだなとは思いますね。
 もちろん、ということはすでに研究し尽くされてる分野(しかも数百年前から)ということなので、じゃあどうするんだっていうのはまた別の話です。

 で、そうやって入手した論文情報をどうしてたかっていうと、パソコンやExcelはありませんから、まず索引の該当ページをコピーして大事に持っておきますけど、私の場合は結局その頃からそういうのが好きだったというか性に合ってたんだろうということですが、ワープロ専用機(後述)におまけ的に付いてるようなデータベース機能みたいなのがあって、それに入力してフロッピーディスクで管理してました。してましたね、地道過ぎるだろうといまでは思いますが。
 そんなことするのはたぶん自分くらいで、一般の学生は、先生に教わったプラス幾ばくかの芋づるや索引、くらいだったんじゃないですかね。

 なおここまでで、NDLの『雑誌記事索引』、冊子もCD-ROMも登場してないですが、正直、使ってたか使ってなかったかの記憶があまりありません。たぶんですが、日外と年鑑でできたリストに、さらに補うべきようなものがそこには無かったんじゃないか、と思います。そのへんは分野によってだいぶちがうんでしょう。

●自転車で古本屋にひきに行く

 調べごとをするのはだいたい紙の辞書・事典です。
 電子辞書の類は、当時はまだ無かったかあったとしても高級品だったはずで、逆にだいたいの学生は自宅生でも下宿生でもマジメでも不マジメでも、国語事典(広辞苑の類)と英和和英と選択語学の辞書くらいは当たり前に持ってたと思います。

 これはまた専攻で特殊な事情になりますが、そもそも日本文学関連の研究は「言葉の意味を調べる」のが本業のようなもので、これでもかというくらいありとあらゆる言葉の調べ方とそのツールを、先生から授業・演習などで教わってました。しかも、全部紙ですからアップデートとかしないので、「あの辞書のあの項目に書いてるあの表記は間違い」とか、口伝されてたりしたと思います。なんなら、研究室や文学部図書室の辞書なんか見ると、誤りを誰かが手書きで訂正書きこんでたりしてました。

 で、自宅にある辞書・事典ではわからないことがあると、図書館にある参考図書をひきに行くことになります。図書館に、ひきに行くんですね。学内にいるときならまだしも、自宅にいても、そこから図書館へ。
 なおその頃の図書館はいまどきのように開館日も多くなく時間も長くなかった、専門の辞書がある学部図書室なんかさらに短いので、図書館が開いてないときには、大学周辺に古本屋がたくさんあって、そこにあれが長年売れてなくて同じ場所にずっとあるってわかってるから、それをひきに行くとか。そこになくても、丸善とか駸々堂(注:書店のほう)まで自転車飛ばせば結構そろってるので、見に行ったり。
 そういえば勉強に関係ない、地図とか時刻表とか、お店や施設の情報、料金とか開いてる時間のようなのって、結構あたりまえのように本屋さんに調べに行ってましたけど、ネットが使えるようになってそういうこともグッと減りましたね。

 で、ここからがまた極私的な特殊事情なんですが、egamidayさんは学生のときクイズ研究会的なところにいたので、専攻等とはまったく関係のない分野の参考図書でも、基本的なのはなぜかちょいちょい自宅に持ってて、それを使って自分で問題作成したりするということをしてました。いっさい興味無いのに、スポーツのルールブックとかあったりするわけです、試合自体見たことないのにね。
 そういった意味でも自分にとって何かを調べることは日常茶飯事だったですが、この分野こそ、インターネットのbeforeとafterとで気が遠くなるほど事情が違うだろうと思うんですが、まあこれも別の話です。

 クイズはさておき、不慣れな分野の授業・レポートのためにも調べ物は必要だし、日本文学のために漢籍や漢字を中国語の参考図書で、というようなシーンもあるので、そういう時、まわりのふつーの学生はどうだったかわかりませんが、自分は図書館を使うのに躊躇抵抗がなかったほうなので、レファレンスカウンターにもちょいちょいお世話になってた記憶があります。たぶん、調べてもらうというより、調べ方探し方を教えてもらう、だったと思いますが。
 なんせデータベースなら特にいまどきのものは、不慣れな分野のことを調べるにしたってふわっとキーワードを入れれば何かしらとっかかりが見つかるし、ましてや複数のデータベースを横断的に検索できる夢のシステムがあるから、分野の違いを意識する必要すらなくなりそうですが、紙の参考図書しかないと、まずどの分野のどの参考図書を手に取ってみたらいいか、からわかんないので、そういう未知の参考図書・ツールのことを聞きにカウンターに行ってたと思います。この分野の論文はこれを見る、この索引はこう使う、これでこれがわかったら次はこれを使う、知らん学部の図書室・資料室の戸のたたき方等々、といった感じのことです。そういうことを教わる存在でした。

 といったようなことを、いまから振り返ると相当たいへんだなあと思いはするものの、正直言うと、その全部が自分にはおもろかったんですよね。探し甲斐があった、というより、探す行為がおもしろかったし好きだった、なんならほんとに探せたかどうかは二の次くらいで、ダメダメな話ですが、卒論にかける時間のほとんどを文献探索に使っちゃっており、中身の研究はほとんどできなかったし、やってなかったし、やらなくてもそっちのほうがおもしろかった、なんてことはたぶんまわりのふつーの学生はやんないだろうと思います。
 そういう意味でいうと、いまどきの行き届いた情報環境の中で学生をやっていたら、果たしてその後、司書になろうなどという気になっただろうかどうかは、わかりません。まあ、たぶん、他の何らかの動機でなってたんだろうとは思いますけど。

 ちなみに、レファレンスカウンターで聞いてたのがそういう内容だったことを踏まえて思い出すと、当時の司書課程の参考調査の授業はその大半が、世の中にはこういう参考図書がある、という感じのあれでした。長澤雅男著『情報と文献の探索 : 参考図書の解題』、というやつです。ただ、ごめんなさい、このころにはもうデータベースがちょいちょい登場しつつある過渡期で、もう使われなくなるというかどんどん未更新状態になっていくんじゃないのか、と思ってて、あまりちゃんとは見てませんでしたが。
 そういった意味では、それまでの参考図書や参考業務の講義は、世の中の情報の探し方や整理の仕方を上から規定する権威的なもの、のようになんとなく見えちゃうのが苦手だったのかもしれません。情報なんかしょせん何かの素材か通過点でしかないんだから、フラットにしてりゃいいのに、的な。しかも、既知の参考文献で調べられる範囲で調べて、結果、それって本当に調べ切れたことになるんだろうか、という疑念。もちろんそのころそんな言葉で考えたことなどなかったですけどね、想い出語りというのは昔語り以上に今語りですね。

 あと、これらも全部アナログというか紙媒体なので、部分一致検索も全文検索もあるわけではなく、『国史大辞典』にしろ『群書類従』にしろとりあえず最初から最後まで全部ページめくって見るのも躊躇せずやってた、というのもカード目録と同様です。索引とかも、をも見よ参照か何か知らんが、半端に信用するくらいだったら全部見る、ていう感じでした。
 時間と視力だけはいまよりずっとありましたから。

 後半へ続く。

シェア型書店の棚主を始めて1年ちょっと経ったので、何がどう売れたかのなんちゃって分析メモ・2024夏

 egamidayさんは2023年6月ころから、いわゆる”シェア型書店””貸棚書店”と呼ばれるのの、棚主というのをやってみ始めました。
 おすすめしたい本や読み終わった本を、自分でなんとなく値段つけて、本屋さんの実店舗の棚をひと棚いくらで借りて、ディスプレイ&販売する、という。

・#egamidayの貸棚書店 – 検索 / X
https://x.com/hashtag/egamiday%E3%81%AE%E8%B2%B8%E6%A3%9A%E6%9B%B8%E5%BA%97?src=hashtag_click&f=live
・#egamidayの貸棚書店 – egamiday3+
https://egamiday.sakura.ne.jp/egamiday3plus/tag/egamiday%e3%81%ae%e8%b2%b8%e6%a3%9a%e6%9b%b8%e5%ba%97/

 場所は烏丸丸太町近くの「こもれび書店」(https://komorebibook.theshop.jp)さんです。
 なお、シェア型書店・貸棚書店とは何かについては省きます、適当にググって下さい。
 あと、始めた動機もとりいそぎ省きます、まあ、ちょっと毛色の違うやったことないことをしてみたかったとか、物理的に蔵書を整理できるならしたいとか、そのくらい。やってみて感じたことも、人と本との向き合い方はもっと千差万別だなあとか、読み終わったら売ればいいと思うと家に本が増えないので躊躇無く買えるとか、ふだん買わない本をシェア型や独立系の書店では買いたくなる不思議とか、いろいろありますけど、まあまた別の話として。

 本題としては、始めてから1年ちょっと経って、これまで棚に出した本や実際に売れた本についてのデータをちまちまExcelにメモしてたら、なんかおもしろそうなことがわかりそうだったりわからなさそうだったりしたので、なんちゃって分析をしてみた、みたいな感じのことです。
 もちろん、期間が短く冊数が少なく規模が小さいのと、egamidayさんは統計の基礎的な教育も特に受けずにここまで来てしまった残念さとで、たぶんだいたいが思い込みの産物というか、なんか適当に数字いじくってぶつくさ言ってるよ、くらいの眉唾だと思ってください。自分的には、いつもと違う角度から本のことを見たり考えたりできて、ほんの真夏の夜の夢くらいにおもろかったかなという感じです。

●全体

  期間: 2023年6月末~2024年7月末(1年1ヶ月)
  棚に出した全冊数: 70冊
  売れた全冊数: 31冊
  売れた率: 44.3%

 あ、こんなもんですよ?
 むしろ半分弱くらいは売れてたんだと思って、数字見てちょっとびっくりしたくらいです。

 もちろんお家賃のほうが倍くらいかかってるし、そもそもは”稼ぐ”ための活動ではない、時間とやる気を消費してブログで何か書いて発信してるのと特に大差はないやつです。
 ただこのあと、何がどう売れたのかちまちま考えるてるんですが、それは、なんていうのかな、「売りたい」「売上をあげたい」という意味で考えているわけではなく、どうしたら本が読者に届くんだろう、リーチするんだろう、あるいは人は本に何を求めてるんだろう、的な、いつもの図書館屋さん目線で考えてるやつだと思っていただいたらいいかなと。

●どういうカテゴリの本が売れるのか?

 で、売れた本・売れなかった本を、カテゴリ別に集計しました。
 なおここでは極私的便宜的に「エンタメ」「文芸」「実用」「教養」「学術」というふうにわけました、優等生の図書館司書ならNDC分類とかするんでしょうが、我が輩はNDCなんか信用してないよという不良司書なので。

カテゴリ棚に出した冊数売れた冊数売れた率(参:値引率)
エンタメ8337.50%-50.90%
文芸291034.50%-65.10%
実用2150.00%-46.50%
教養171058.80%-55.30%
学術14750.00%-62.00%

 母数少ないながら敢えて言うと、教養・学術のほうがよく売れたんだなという気付きですが、文芸書(小説類)は読み終わってもういらないというリサイクル目的のやつを多めに出しがちなため分母が多くなってしまう、という程度のあれかもしれません。
 値引率という謎の参考数字は後述しますが、要は、カテゴリの売れる売れないに値段は関係なさそう、というだけの話です。

●新しい本のほうが売れるのか?

 じゃあ売れる売れないに何か違いがあるのかを、とりあえず思いつく要素として、その本が新しいか古いかなのか、説です。
 各図書の出版年をデータに加え(ここで一気にお仕事っぽくなった)、新しい順に並べてみたのが以下の図です。

(クリックで全体を表示)

 なお、全体の平均は18.7年、最新は0年、最古は56年という感じです。
 2024年現在から何年前なのかを「年数」として出し、両端以外はだいたい5年ごとくらいでわけてみました。

年数(範囲)棚に出した冊数売れた冊数売れた率
1年以内6583.30%
2~5年7457.10%
6~10年9666.70%
11~15年6350.00%
16~20年13430.80%
21~25年700%
26~30年11327.30%
31~40年6233.30%
それ以上5480.00%

 全件の図と、年数範囲の表とをざっと見ると。
 1年以内の新刊はよく売れるし、10年くらいまでならちゃんと売れてるほうなんだけど、10年過ぎたころから売れなくなってきて、15年・20年からそれ以上はパタッと売れなくなる。公共図書館なら15年くらいは開架にのこすか迷うけど、20年過ぎてると迷わず閉架、という感じでしょうか。
 ところが、30年くらいからまたぽつぽつ売れようにはなってきて、むしろ40年超えの古書が驚くほどヒットしてる、という感じになってる。その理由はわかりません、あきらかに絶版だからなのか、自分の値段付けがゆるくて割安だったのか、そこまで古いのにわざわざ出してるくらいに自分のセレクトが慎重だったのか(まあ、逆に中途半端な年代の母数が多いところに、雑に出したっぽさが見えますが)。

●安い本のほうが売れるのか?

 値段付けはegamidayさん自身がやってて、もちろん無経験素人のえいやっですからあてにはなりませんが、単純に安い本が売れて高い本が売れない仮説、が成り立つのか。
 以下、値段ごとに売れた率です。

値段(売値)棚に出した冊数売れた冊数売れた率
100円2150.00%
200円8337.50%
300円20735.00%
400円5240.00%
500円12541.70%
700円22100.00%
800円4125.00%
900円5240.00%
1000円5240.00%
それ以上66100.00%

 100円から1000円までのあいだで言うと、特に何か傾向が見えそうなところはなくバラバラだな、と思いますが、むしろそれ以上、1200円から1600円という値段を付けた6冊が全部売れてる、というのが驚きでした。

 で、これを並べてみてるところでちょっと気になることがあったので、「売れるまでにかかった日数」を各件ごとに記載してみたのが下の図です。「売れるまでにかかった日数」とは、棚に出した日付と売れた日付の差をExcelで出したやつです、記録ってのは取っておくものですね。

(クリックで全体を表示)

 で、値段と売れるまでの日数の関係をなんとなく眺めてみたときに、500円以下の「安い」と思える価格帯の本はだいたいさっさと売れてるんだな、という感じです、だいたいが10日以内かひと月程度で、2ヶ月3ヶ月以上かかってるのはぱらぱらとした感じ。一方で800円・900円から1000円以上という価格帯の本の売れ方を見ると、半月程度でさくっと売れてるものと、100日とか200日とかかけてじっくり売れていったものとに、なんとなく二極化してる感があります。へぇー、そーなんだー、程度ですけど。
 わかんないですが、1000円を超える高額な本のほうが売れてる理由に思い当たるふしはあって、egamidayさんがなぜそれらの本に1000円超えの高い値段付けをしてるのかというと、ひとつには、すぐには売れてほしくないから。これはあきらかに矛盾というより、たぶん貸棚書店的なところの棚主あるあるなんでしょうけど、売りたくて棚に出してるというよりも、こんな本を自分はオススメしたいんですよという、おせっかいな自己顕示欲によってこういうことをやってるので、オススメしたい本、みなに見て欲しい本ほど、できれば長く棚に逗留していてもらいたく、なので比較的高めの値段を付けちゃうんですよね、これは本職の古書店さんにとってはどういうお気持ちなのかは存じませんが、月何千円でなんちゃってでやってても、キミはせめてしばらくは誰にも買われてくれるなよ、と思える本が出てきちゃう。で、そういうオススメしたい内容の本が、結局は内容的に良いから、時間をかけてでもちゃんと買われていく、ということなのかもしれません、あくまで妄想ですけど。
 あともうひとつの高い値付けをしてる理由は、単に新刊で出てすぐの本をすぐ買ってすぐ読んですぐ棚に出すから、新刊かつほぼ新品で強気の値段をつけても売れるだろうと出したら、やっぱり売れた、これが高額でも半月程度でさくっと売れるパターンのやつですね。

●割安な本のほうが売れるのか?

 ただ売値が高いか安いかだけで判断してもしょうがなく、モノには相場というものがあり本には定価というものが(日本には)あるので、どれくらい割安になってるか、どれくらい値引きされているかで、売れる売れないが変わってくるのか。
 今回は、その本の「定価」に比べて売値が何割引か、を出しました。棚に出してる本の多くが絶版品切れ入手困難、要は定価で書店から入手できないようなものが多いので、じゃあそうなると古書店とかアマゾンマーケットプレイスの相場と比較して割安かどうかを調べたほうがいいんじゃないか?という説もあるとは思うのですが、そんな相場がわかるような知見が自分にあるくらいだったら、えいやっで値付けしたりしないし、そもそも貸棚みたいにまどろっこしいことせずに自分で出店できちゃうじゃないですかね。それより、そもそもこういうシェア型書店にわざわざ来て本買おうとする人が、いちいち古書店の相場を気にしたりアマゾンやブックオフの値段をスマホでちまちま確認するとは思えない、おそらく多くの人が判断するとしたら、手に取ったその本自体に印字されている定価と比べて、値札の値段がどれくらい安いか、くらいなんじゃないかなと思うので、定価と比べる、というやり方でとりあえずは充分なんではないかと。

 以下、定価と比較した値引率です。

値引率(範囲)棚に出した冊数売れた冊数売れた率
0~10%台2150.00%
20%台4375.00%
30%台6350.00%
40%台7457.10%
50%台18844.40%
60%台8450.00%
70%台11436.40%
80%台14428.60%

 これも、へぇーそーなんだーと思いましたが、値引率が40%台以下、つまり定価の半額よりも高い値段の本のほうがわりとよく売れて、逆に半額以下になると売れにくくなり、70%・80%台の大幅に値引きしているような本はあまり売れてない、という。
 正直、買う側の立場にしてみれば(一瞬でそっちの立場にシフトできる)、こんだけ安く売ってるのって、いらなくて出してるんだろうなあというふうに見えちゃうので、まあそりゃそうかという感じです。逆に言うと、これはこのくらいの値段を付けても買われるだろうというようなオススメの本やそもそも売れそうな本は、やっぱり買われる、そりゃそうか。
 あと値段を付ける時の考え方として、買おうか買うまいかどうしようかくらいのふわっとした本もあれば、いやーこの本を買おうというきとくなお方はたぶん値段がいくらであっても買うんだろうなあ、という本もあって、それが売値にも売れた率にもなんとなく反映するんだろうな、ていうくらいです。
 ちなみに、最も出した本の冊数の多かったのは値引率が50%台のもので、かつ全体の平均値引率が60.0%、要するに、半額よりちょっと安いくらいの値段を付けがちなんだな、自分は、という気付きでした。それでいて半額が売れる売れないのラインなんだったら、次からは高めにしたほうがいいんだろうか。しかしだからと言って、値引率70%・80%で売れなかったような本を、20%・30%くらいに高値で出したら売れるようになるのか、というとそうは到底思えないので、うーん、まあ、わかんないですね結局。
 ただ、「売値が高くても時間をかけて売れている」「値引率が低い本が売れている」というような傾向がぼんやりと見えて、あらためて、ここはブックオフでもアマゾンでもない、そういうところに意味がある、ということがなんとなくわかりますね。

●面陳したら売れるのか?

 だったら、こっちからオススメして本のほうが売れるのか?という説ですが。

 egamidayさんの売り場である棚は、↑この写真のように、背表紙だけ普通に見えるスペースと、表紙を面陳して置いているスペースとを半々でレイアウトしてます。こういうレイアウトも棚主さんによってさまざまです、あたしはそのへんのセンスが砂漠なのでこのあたりが限度ですが。
 でもまあさすがに面陳してるほうが売れやすいんじゃないの?とは思うので、一応確かめてみました。何を面陳してたかしてなかったかは、棚に新しい本を出しに行くたびに毎回その棚を写真に撮ってTwitterにあげていたので、それを見るとわかります、記録は取っておくものですね。
 記録をもとにカウントすると、以下のようなことがわかりました。

  売れた本 31冊 = 面陳した本 19冊 + 面陳しない本 12冊
  面陳した本 36冊 = 売れた本 19冊 + 売れなかった本 17冊

 これでわかることは。
 面陳したからと言ってよく売れるとは限らない。
 けれども、売れた本は面陳した本のほうが多い。
 ということくらいです。

 と考えたところで疑問に思ったのが、じゃあ、この「面陳しなかったけれども、売れた本」12冊ってのは、どういう理由からなんだろう、ということです。なんだ、この「不思議の勝ちあり」は、と。
 で、この12冊に何か傾向があるのかしら、と思って売値や値引率や刊行年やをいろいろ調べてみたのですが、どれもバラバラで特徴がこれといって無い。唯一傾向らしい傾向があったのが、本記事最初のカテゴリについてです。

 面陳なしで売れた本12冊のうち、9冊が学術・教養カテゴリ(75.0%)。というのがわかって思い当たるのは、学術・教養分野の図書の多くが、タイトルにその内容が端的に表現されている、つまりは背表紙だけでも何の本かが容易にわかる、ということでしょうか。まあ確かに、棚に出す側としてもジャケットが映える文芸書をおもてに出しがちで、逆に学術・教養分野の本なら買う人はタイトルだけでも見つけるでしょうと思うので、そういうことなんだろうな、とは思います。

 なお、棚に面陳のほかに、新しく本を棚に出したときに投稿するTwitterにその書影を載せるものと載せないものとがあり、書影を載せたら売れるのか?という説も考えましたが。

  売れた本 31冊 = 書影をtweetした本 18冊 + しない本 13冊
  書影をtweetした本 37冊 = 売れた本 18冊 + 売れなかった本 19冊

 たいした傾向もないので、だいたい同じです。

●本の紹介を書いたら売れるのか?

 いや、オススメといったらこっちですよね、と。
 egamidayさんはいわゆるポップのようなものを付けてない(少なくともいまのところは)のですが、出店初期のころはオススメ本にこういうQRコードを付けてました。

 これをお手持ちのスマホで読み取ってもらうと、Twitterに投稿したオススメ紹介文が読める、っていう。
 ただ、初期のころちょっとやって以降は、もうずっとご無沙汰というかやってないです。やらなくなった理由は、ちょっとやってみて、あ、これあんまり関係無いんだな、というのがなんとなくわかったのと、他に書かなきゃいけない文章がいくらでもあったのと、QRコード印刷して持っていくのが存外にめんどくさかったのと、あとは、これをやり始めて直後くらいにTwitterが仕様変更して、ログインしないと投稿を読めなくなってしまったという「全部イーロン・マスクのせいだ」案件です。

 で、一応集計すると。

  売れた本 31冊 = 紹介を書いた本 4冊 + しない本 27冊
  紹介を書いた本 8冊 = 売れた本 4冊 + 売れなかった本 4冊

 これはもうなんというか、数が少なすぎて何も言えず、言えるとすれば、やる気があるならもっと書きなさい、ということくらいです。

●どういうつもりで出品してるのか?

 これ、関係あるかなーと思って初期から意識してたカテゴリ分けがあったんですが、やってみたら一番関係無くって、お焚き上げしておきます。
 本を棚に出すときに、egamidayさん的には大きく分けて3種類の腹づもりがあって、それが「オススメ」「リサイクル」「売れそう」です。

(A)オススメ
 この本面白いんですよ、オススメなんですよ、というのをこの棚に出して発信し、興味を持ってもらいたい、というつもりで出す本。なおこのつもりで置く本は、もとから複本を持ってたか、複本を調達して置いてある。

(B)リサイクル
 もう読み終わったので、別の誰かに譲れるな、という本。
なお原理的にはすべての本がこれに該当するはずですが、意図的にそういうつもりである、という意。

(C)売れそう
 棚に出して売れそう、お客が買っていきそうな本っていうのは、こういう本なんじゃなかろうか、という商売っ気推測のもとで出す本。

 なお排他的な要素ではないので、AでありCであるとか、AでありBでありCでもある、とかはもちろんあり得るわけです。

 これをふまえて。

棚に出した冊数売れた冊数売れた率
(A)オススメ211047.60%
(B)リサイクル442045.60%
(C)売れそう331854.50%

 何か言えるほどのことはなかったのかな、という感じです。
 以上。

●結論のようなもの

 結論のようなものは、特にないです。
 売れる本は売れ、売れなかった本は売れなかった。
 いつかは売れる、かもね。
 そのくらいじゃないでしょうか。
 そのくらいであるということが、あらためてわかって、おもろかった、という感じです。

 まあ、あれです。
 本は、売れる売れないは関係ない、一冊一冊を愛でましょう。

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