極私的・egamiday十大ニュース&極私的流行語大賞 2024

 なんかふわっと過ぎていった、2024年のざっくりとしたまとめを、2025年はもっとなんか書けるような活動をしましょう、という反省も込みで。

●極私的十大ニュース

・egamiday氏、システムリプレイスに翻弄される
・egamiday氏、niftyに鞍替え
・egamiday氏、2024年の海外渡航はシアトルとソフィア
・egamiday氏、2024年のオンラインはデジタルアーカイブ×メタデータ勉強会と日欧DHクロストーク
・egamiday氏、「生涯ライブラリアンします」宣言に続き「やりがいは、もう無い」発言
・egamiday氏、京都→伊丹、ぶらり路線バスの旅
・egamiday氏、東北・北海道、ぶらり途中下車の旅
・egamiday氏、本のある空間徘徊、ブックカフェ、独立系書店・古書店の日々

●極私的流行語大賞

・毎日、執筆。
・ライブラリー・スキーマ
・兄さん・・・
・シアトル
・デジタルアーカイブ×メタデータ勉強会
・エンドレス・絵巻・地獄
・いこっと(牧之原市の)
・路線バス
・やりがいは、もう無い
・ソフィア(ブルガリア)
・シュケンベチュルベ
・赤道ギニア
・現状維持バイアスを打破しよう!!
・さざえ堂、平泉
・クリスマス前の祝日の朝といえばジンジャーブレッドラテ

極私的・今年のアルファコンテンツリスト 2024

 年間の極私的アルファ級コンテンツ、要するにMy Favorite Thingsのまとめリスト。

・「光る君へ」(ドラマ)
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/
 文芸史ドラマのはじまり、と思いきやそれ以上に、大石静脚本の怒濤だった。最終、菅原孝標女が一番尊かった。

・「想い出づくり。」(ドラマ)
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0021/
 山田太一作品の中でも、いつか、一度は観てみたいとかねてより思ってた、TVerでは期待すべくもなかったような作品が、なるほどBSで観れたのでした、ありがとうございます。田中裕子の人が最高。

・「家呑み華大」(テレビ番組)
https://www.bs-asahi.co.jp/ienomihanadai/
 博多弁が生理食塩水のように身体にするすると染みていく環境ビデオ。

・『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題 : 文化の架橋者たちがみた「あいだ」』(書籍)
https://www.chuko.co.jp/zenshu/2024/02/110148.html
 めちゃめちゃエキサイティングで、バスの中で読みながら気分上がりまくりになってた、今年読んで良かった本の類の極私的第1位。国際日本文化研究的かつ本棚の中のニッポン的であり、文芸史かつ文芸の鑑賞と鑑賞的であり、あ、やっぱり自分は文学畑の人なんだという里帰り感傷的であり、このまま終わらなければいいのにっていう。

・ポケ丼(食)
 シアトルのお店(https://fobpokebar.com/)でいただくことができた中で、今後につながるという意味で極私的に一番よかったのが、結局これだったという。日本で出会うほうがむしろ難しそう。

・「虎に翼」(ドラマ)
https://www.nhk.jp/p/toranitsubasa/ts/LG372WKPVV/
 内容は言うに及ばずですが、とにかくテンポの速さがすごかった、毎話がダイジェストかと思いくらいなので、半年ちゃんと併走して観れてよかったねという感じ。
 
・「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(テレビ番組)
https://www.tv-tokyo.co.jp/rosenbus/
 ここへきていまさらかつにわかに、BS再放送によって”路線バスもの”熱が掘り起こされたという。よく考えてみれば、自分の一番好きなタイプの旅ものだった。リアルタイムで観れてなかったのが残念。
 
・ブックカフェ上方演芸(カフェ)
https://librize.com/places/16422
 大阪のhidden gem、ライフが回復する補給ポイント、かつロールモデル。いごこちとやりがい。

・「アンメット」(ドラマ)
https://www.ktv.jp/unmet/
 過去の事件が尾を引いていてどうのとか、記憶がなくなってどうのとかいうドラマは昨今ザクザクと出てて食傷気味の向きもありがちなものの、これは特に群を抜いてというか選り分けてでも観てよかったやつ。若干のファンタジーっぽさはあるものの、その語り方の妙も、こころのあたたまりかたつかまれかたも、映像の丁寧なうつくしさも、しっかり味わえて満足感が高かったという印象。

・ヨーロッパ企画「来てけつかるべき新世界」(演劇)

来てけつかるべき新世界


 2016年以来、8年ぶり2度目、殿堂入り。「熟成されたチーズの鍋に二度漬けされたような、濃厚なセリフの応酬を浴びる体験。染みついたにおいを洗い流さずこのままビール飲みたい。」

・フランツブレッヒェン(食)
 ブルガリア・ソフィアでなぜか出会った、ドイツのローカルなシナモンロール。デニッシュ生地で、ぐにゃっとひしゃげてて、食べやすくかつ食べ応えがある。気に入りすぎて、買って日本まで持って帰ってきた。
 cf: https://www.nhk.or.jp/kamado/recipe/381.html

・ボヤナ教会
・ソフィア大学図書館ツアー
 そのうちに別記事で書く。

・『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(書籍)
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334103804
 よくある学生向けノウハウ本だと思われてますか? とんでもない、ぐいぐい読み進めてしまうリーダビリティで、終盤に至っては感涙で目頭を熱くしてたという、稀代の。一説には「ミステリー」でもあるらしい。

・シベリア少女鉄道「君がくれたラブストーリー2024」(演劇)
 これも2016年以来の8年ぶり2度目、やはり殿堂入り。世にある会話劇の中で最高傑作だと思っている。
 cf: https://www.siberia.jp/

・さざえ堂(建築)
https://www.aizukanko.com/spot/138
 数回のぼりおりして、外から中から、上から下から、舐めまわすように堪能して、結果1時間くらいいてた。

・カタン(ゲーム)
 ははあんなるほど、ボードゲームってこういうことなのかあ、と納得いたしました。
 cf: https://catan.jp/

・柿の博多押し(食) 

・「ヨーロッパ企画のまたとない夜 第4夜 SSMF2024慰労会、東京本戦直後の宴」(イベント)

ヨーロッパ企画のまたとない夜


 配信にて。ヨーロッパ企画メンバーの掛け合いトークというスタジオ感、だけでなく、映像作品にまつわる創作談義&メディア談義もをあわせて、時間を気にせずたっぷり聴くことができたという、極私的に得しかしない、なんなら円盤でほしいくらいのコンテンツ。

・『モンテレッジォ : 小さな村の旅する本屋の物語』(書籍)
https://hojosha.co.jp/menu/591906
 好きしか知らない。

 以下、手前味噌編。

・「『春の画』を観たメモ」(egamiday3+)

『春の画』を観たメモ


・「Specialist Spotlight: Toshinori Egami」
https://guides.nccjapan.org/homepage/news/news/Specialist-Spotlight-Toshinori-Egami
・「202403us シアトル日記その1 : CEAL・NCC・AAS編」(egamiday3+)

202403us シアトル日記その1 : CEAL・NCC・AAS編


・「202403us シアトル日記その2 : 旅情&旅行事務編」(egamiday3+)

202403us シアトル日記その2 : 旅情&旅行事務編


・「シェア型書店の棚主を始めて1年ちょっと経ったので、何がどう売れたかのなんちゃって分析メモ・2024夏」(egamiday3)

シェア型書店の棚主を始めて1年ちょっと経ったので、何がどう売れたかのなんちゃって分析メモ・2024夏


・「ネットが無かった30年前の学生はどうやって勉強してたのか、という想い出がたり 検索編」(egamiday3+)

ネットが無かった30年前の学生はどうやって勉強してたのか、という想い出がたり 検索編


・「日欧DHクロストーク#2- オープンサイエンスを支えるデジタルアーカイブと司書のスキル」
https://sites.google.com/view/ejdhxtalk20241126

ごあいさつ2024→2025 附:「司書としてのやりがいは、もう無い」

 2024年もいろいろとお世話になりました。
 2025年もまたよろしくお願いいたします。

 さて問題です。

 問1
 「休日やプライベートでも司書の仕事に近いことや勉強をやるのは、どういうモチベーションからですか?」

 問2
 「司書の仕事の、どのようなことにやりがいを感じていますか?」

 人前に立ってしゃべることをやったりしていると、年若の人から不意にクイズを出題されることがよくあって、具体で細かいトリビアならまだしも、図書館とは何か司書とは何かのような、超難問でありながら頻出のものまで。上記2問あたりは後者の派生形で、これもまあまあの頻出のように思いますが、もちろんこれらは生涯かけて繰り返し考えをアップデートしていくようなジャンルの問いではあるものの、年若の人たちが居並ぶ前で、「さあ、お答えください」と、期待と品定めのないまぜのような熱くも厳しい目で見つめられながら、数秒のシンキングタイムしかない中で、瞬時に脳をフル回転させ、過去にいろんな立場・いろんな業種・いろんな国の人たちの話を聞いたり話しあったりした中で出てきたエッセンスのようなものを、自分なりにぎゅうぎゅうに凝縮して、回答を導き出す。もちろん正解はないので、常に自問自答を繰り返すことになるわけですが、ちょうど今年は上記2問を問われて答えたり考えたりしたことがあったので、現時点でのその考えを年越しの一里塚として記しのこすというものです。

 というのも、しばらく前からの自分の考えというか納得事項として。
 「ライブラリアン」とは、文献・情報の持つ力(パワー)を信じて、その媒として社会に向き合う、そういう姿勢のことなんだと。
 つまり、”社会とどういう姿勢で向き合う人”かを示すものであって、所属とか職業とか資格や専門性の有無等は本質的な問題ではない、というふうに理解納得し、また問われればそう述べるようにしています。

 よく司書の専門性を医者や弁護士を引き合いに出して云々という言説があったりしますが、どちらかというとジャーナリズムとジャーナリストのあり方になぞらえたほうがいいのかもな、と。
 余談、「文献・情報」に「文芸」を加えるかどうかは迷うというか極私的には入れたい気持ちはあるものの、これは人によって意見がわかれるというか、加えちゃうと一気に向き合い方が限定的になってしまいそうなので、保留。
 余談2、「しばらく前から」egamidayさんはそう考えてるらしいですが、Twitterでの初出は2022年5月5日だそうです、Twilog復活感謝。

 文献・情報の持つ力を信じ、媒となるという立場で、他業種の人々や市井・シチズンの人々と向き合い、社会構造や世界人類・森羅万象と向き合う。
 そういう人やそういう姿勢をライブラリアンなりライブラリアンシップなりと言うとしたら。
 ライブラリアンは図書館にいるだけではなくて、学校や市役所にもいるかもしれないし、商店街やカフェにいるかもしれないし、議場や道端にいるかもしれない。ユビキタスたり得るし、ユビキタスたれ、と思います、そういう社会であってほしいとそう言えば前々から思ってたなあ。
 1日のうち5分だけそういう姿勢で社会と向き合う人もいれば、365日中366日ずっと身構えている人もいる。向き合い方も、薄かろうか深かろうがそれは程度の問題であって本質じゃないし。
 所属職業としての図書館員や、資格所持者としての司書がどうこうよりは、ライブラリアンシップにもとづくライブラリアンのあり方をマインドの問題としてとらえれば、そういうことになるのかな、と。

 そう理解納得した時に、ああだったら自分は、生涯ライブラリアンたろう、と。「生涯ライブラリアンします」と。
 それは意志をもってそうしようというのではなく、そうあることが自分にとってもっとも自然なあり方なんだな、と得心した感じです。

(念のため、これはあくまで自分にとってそうだという話に過ぎず、どんなプロにもあなたにもこなたにもそれを求めたいとか”べき論”とかではないですので、こいつなんか言ってんなぁ、くらいに見といてください)

 ということをふまえて問1を考えると。
 ライブラリアンとして社会に向き合ったときに、自分がやりたいこと、やるべきこと、やらなければならないとされることのようなもののうち、職業上、仕事として、業務時間内と所属内の立場の範囲でできることというのは、極々一部でしかない、100あるうちの5だったり10だったり-20だったりするので、休日なりプライベートとしてさらにそれをやる、と。
 よく言われることですが、理想的な休日の過ごし方というのは、平日にできなかったけどやりたいことを活動的にやることですよ、というのがホントなら、まあ、そういうことです。もちろん、業務としてやるほうがコスパが高いだろうし、そもそも休日にやれることだってさらにその極々一部の牛の毛ほどでしかないわけですが、パフォーマンスの多寡なんてものはこれも程度の問題で本質ではないので。あるいは、もっと言うなら、自分は何もやることも姿勢も変えてやしない、たまたまそれが平日か休日かのちがいだけ、でも良いかと。
 何をやるかにしたって、別に研究会や学会に出たり”いかにも司書っぽい”ことだったりに限ったことじゃない。シンプルに本を読むこと、勉強すること、同業者や他業者の人たちと話をしたり話を聞いたり、何かを実践する、体験する、政治や社会に向き合う、展示を見たり街を歩いたり旅に出たりして、その知見をブログに書いたりSNSで発信したり文献に残したり。もう少し具体的には、貸棚書店の棚主として人と本との接点(まったくちがう場所での媒)になってみたり、オンラインで日本と欧州とでクロストーク(これも媒)をしてみたり。
 それは、見かけ上は種々雑多かもしれませんが、自分にとってはつまるところ同じこと・同じ姿勢なわけです、直接であれ間接であれ。

 そうなってくると、問2の「やりがい」問題なんて正直答えようがなくなってしまっており、あたしはこれを実際リアルに問われたとき、ふと口をついて「やりがいは、もう無いです」と答えてしまいました。
 これがたぶん、もう少し自分も経験が浅かったら、利用者に喜んでもらうことです、社会貢献できることです、文化資源を未来にのこしてつたえていくことです、みたいなことを自分なりに言語化するだろうし、実際そんなことを言ってたと思うんですが。
 いまとなっては、もうそれらのどれもこれも、言語化できるほどの距離のある存在じゃなくなっちゃったんだろうな、と。そういうことをやりがいとして思わなくもないんだけど、そのやりがいなりモチベーションがなくなってしまったとしたら、もうこの仕事をやらなくなるなんてことはない。自分のやりたいこととこの職業とが既に境目無く融合し、ただ己の欲するところにしたがってるにすぎない、という感じです。(念のため、それが良いか悪いかはまったく別の話です。あと、心身の健康には留意しましょう。)
 なので、「やりがいは無い」と「やりがいしかない」が同義だと言ってもよい。

 まぁそういう自然体モンスターが窯変してしまった、ということでどうでしょう。
 そこまでいくとあんまり人様の参考にはならないと思うんですが、そこまで難しく考えることなく、365日のうちの5分でも3日でも200日でもいいので、社会への向き合い方としてのライブラリアンというものをご自分の中にインストールしてみてはどうか、と思います。

 なお、じゃあそもそも、そのライブラリアンの媒としての機能にはどういう社会的な意味があるのか、という問題、いやそっちこそが肝心だろうともちろん思うわけですが、議論として分けた方がいいだろうし、年末年始の慌ただしい時期なので、また別の話ということで。

 なお言うまでもないことではありますが、「生涯ライブラリアンします」というフレーズは、大泉洋の人からの文芸的継承であることを、念のため述べ添えます。

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