西口克己『祇園祭』(#egamidayの貸棚書店)
西口克己. 『祇園祭』. 弘文堂, 1968.
7月になると京都文化博物館で毎年上映される『祇園祭』という映画があります。公開は1968年、京都府全面協力による制作。萬屋錦之介、岩下志麻、三船敏郎、渥美清その他その他という豪華な俳優陣により、室町時代の荒れ果てた京都を舞台に、町衆たちが自治の力で祇園祭を再興していきました、という、そりゃこの時期に上映したいですね。
その、原作小説です。
おおむねの筋書きはだいたい前述の通りではあるんですが、これをどう見るかと考えたときに、もちろん歴史小説でもあるし、熱い想いを描いた人間ドラマでもあるし、血なまぐさい戦さもの、あるいはそれに対する反戦平和メッセージでもあり、それらをふまえた人民の人民による自治への目覚めを描いた社会派小説とも言える(というか著者はそのつもりっぽい)んですけど、私個人的な見方というか感想としては、これってひとつの”プロジェクト・マネジメント”だな、と。
もちろん、主人公がヒーローっぽく描かれもするんですが、とはいえ、史実にしろ物語上にしろ祇園祭の再興なんて一人の情熱情念だけでできるってことはないわけなんで、じゃあそれをどう実現していくの、艱難辛苦を解決していくの、と。例えば前半(ていうかほぼずっと続く)、異なる幾つものコミュニティが血で血を洗う対立を繰り返す絵に描いたような憎悪の連鎖を、止めるのか止められるのか、という交渉説得かけ引きをどうするのか、互いを調整しまとめていけるのか。そして、それを経て(やっと)祇園祭再興に乗り出す段になると、鉾はどうするか、囃子は、飾りは、予算は、あれもこれもやらなあかんのを、各コミュニティがどう取り組んでいくか。いやそもそも、戦乱期に断絶した記憶の復元をどうするのか。挙句に幕府が止めろと弾圧してくるのを、それでも強行する大義名分=物語をどうするのか。そのひとつひとつが積み上がって、最後の最後、この祭は一本や二本の矢では止まらない、というお涙なシーンがありますが、むしろ逆で、この祭を一本や二本の矢で止まらないような強固なものにするためのプロジェクトだったんだなこれ、そりゃ止まらんでしょうと。
ともあれ、よろしければ読んでみて、かつ映画もご覧になってみてください。
加えて、下記あたりの論文も合わせて読んでみられると面白味がさらに増すでしょう。
京樂真帆子. 「映画『祇園祭』と歴史学研究 : 「祇園会じゃない祇園祭」の創出」. 『人文學報』. 2020, 115, p.157-191.
https://doi.org/10.14989/252822
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