バルセロナ日記 1日目その2 「ダンジョン型のMLA連携」 (#202505eu)
さてカテドラルを出て、旧市街路地の右往左往に戻りますというと、ほどなくバルセロナ旧市街名物らしき”かけはし”(ビズベ橋)に行き当たります。
このあたりの路地は中世の頃に、伯爵だの富豪だの司教だのの宮殿だの邸宅だのが集まってたエリアらしく、まあこのあたりを観光してると自然とここ通ることになるんだろうな、という立地ではあって、そこにこんな立体感を見せてくる構造物があると、人気ではありますよね。
で、さて、ただいま上の写真ではあえて画角を工夫して撮影したものを並べておりますが。
これをちょっとだけ角度を変えて、同じ場所同じ時刻に撮った写真が、こちら。
うん、まあ、そういう場所柄だとご理解ください。
(加えて言うなら、こんななりして、まだできて100年経ってないとのこと。)
●ローマ時代を記憶する広場、大航海時代を記憶する舞台演出
さらに先へ行くと、広くてちょっと堂々たる広場に出ます。
ここが、サン・ジャウマ広場。
古代ローマ時代にはここがバルセロナの町の中心地だったそうで、海側に向かって垂直・平行の2本のメインストリートがここで十字に交差していたという。周囲に比べると若干小高くなってた(タベルの丘)し、いまもなってるらしい。言われてみれば、少なくとも東西方向にはここが一番高くなってるなというのはわかる、感じかな、まあこの辺り一帯軽めの高低がわりとあちこちについてるんですが。
なおここを中心にふわっと卵形というか楕円形を描くような路地があって、ピカソの絵があったノーヴァ広場から、カテドラルの北側をぐるっと曲がって、あとで行くタピネリア通り、アビニョンの娘たちがいたアビニョー通り、なんかがそれにあたる、これが、ローマ時代の町の外形であり市壁のあった筋らしいので、え、ということは町の形がローマ時代を記憶してるってことじゃないか、何その保存度の高いの。
そういうローマ時代から始まった市壁をはじめ、計3度の築造とその後の撤去が時代時代でおこなわれてきており、時に囲い、時にはみ出し、時に窮屈に、時に大幅に拡張してきたのがこの街なんだ、というのが追々わかってきます。この場所はその”エピソード1″なわけですね。
で、そんなことより、先ほどからおじさんが広場の中心で何やら声高に演説らしきものをぶっているのです、延々と。カタルーニャ語らしきその内容はわかりませんが、その口調は確かに何かを訴え、主張している様子で、そもそもこの広場はいまもカタルーニャの自治政府庁や市庁舎といった行政機関・施設があるところで、いずれも中世からの建物を現役で使っており、ていうかその中世の時分にも自治や議会のための建物だったし、しかもローマ時代の政治の中心エリア(フォーラム)でもあったということで、つまりは古代から現代までずっと、具体的にも象徴的にもそういう界隈なんだなということがわかるのです。だからこそ、いいぞおじさん、もっとやれ、やるべきだ、と思います、いつのまにかいなくなってたけど。
そしてなおも地図無しで無作為に歩いていると。
今度は「王の広場」(Placa del Rei)に行き会いましたな。
王の広場、中世旧市街なゴシック地区の中でも結構な歴史的云われスポットのひとつ。
広場をぐるりと囲う建物がレイアール・マジョール宮殿、バルセロナ伯が住んでたり、王室礼拝堂(サンタ・アガタ)があったり、あと中のほうには新大陸から帰ってきたコロンブスがイザベラ女王に報告に来たという広間がある。
という歴史的云われもそうなんだけど、ここって、写真で見てたときも現地に立って見ても、広場と建物の空間構成・・・三方を囲まれてる感や、軽めの高低差、背の高い柱、扇形の階段は演劇舞台っぽいし、なんていうかな、シンプルに「威厳」を演出して見せつけてるような場所として、整ってるな、と。なので能書き抜きにしても、あ、ここってきっと歴史的に重要だった場所にちがいない、っていう印象がやたら残るんですよね。そういう、なぜかずっと気になってるところ。
地形だったり路地だったり広場や建物だったり、思想だったり都市構造だったり空間の構成だったり。
なんかいろいろな歴史が、いろいろなメディアで記憶されてる街なんだな、と思います。
●歴史がむきだしパッチワークの博物館
さて、カテドラルと並んでもうひとつ、初日に”とりあえず”的に行っておきたかった場所が、こちら。
バルセロナ歴史博物館(Museu d’Historia de Barcelona)、です。
初見の街では、やはりまずは街の通史を押さえておきたい。しかもここは、街の歴史資料館なだけでなく、地下に古代の遺構があるんだよということらしいので。
↑建物自体は15世紀の貴族邸宅らしく、当時の典型な”中庭二階直アクセス階段”方式ですね。
まずは上階展示。
街の歴史を展示物やストーリーで手堅くおさえてるのに加え、お子様向けにもわかりやすく問い立て風にアレンジもされてる感じ。英語をたよりにフムフムと追っていくと、参考文献で予習してた通史上のあれやこれやが、補正混じりの復習として脳内に染み入ってくるのを感じます。古代・中世から、産業革命、都市計画・市民運動・労働問題もお子さまにわかるように。で、そのうえで、フランコ時代の描写はなんかやっぱりちょっと微妙だな、という感じ、この感覚ってどうなんでしょうね。
という展示ベースの通史確認だけでなく。
やばいです。
ナマの古代史・中世史が、剥き出しのパッチワークです。容赦ない歴史攻撃をくらっています、もはや物理的に。
「あなたがそのテラスから眺める光景は、それぞれこの時代の何々、この時代の何々、この時代の何々です」、と。
それをこの眼で見ながら案内板で解説されるんですが、もうパッチワークさ加減があまりにガチ過ぎて、ちょっとやそっとの言語解説では無理だ、理解が追いつかなくてあきらめモードになっちゃってる。
この街、なんなんだ、と。なんであんな(言っちゃうと)物騒で虐げられた歴史と、驚異の経済発展の中で、こんだけの遺物が現ナマでのこせてるんだと。
多角形の塔がフォトジェニック。(16世紀、マルティン王の塔)
反対側には、さっきの王の広場も見えます、という眺望。
●認知が追いつかないダンジョン型MLA連携
そしてこの歴史攻撃は地下に入って、いよよエグさを増すことになります。
ここの地下には古代の遺構があるから、というんで下りてみて、よくある史跡展示かな、ふむふむ、と歩いてるのですが、えっと、そのわりには広すぎやせんか、歩いても歩いても展示が終わる気配がないんですけど、と思ってたら。
・・・え、「あなたはいま、カテドラルの下にいます」、って言われてるんだけど??
どうやら、地下遺構展示のていで、博物館だけでなく王の広場もカテドラルも、彫刻家マレーの美術館も、全部横断、というか一体化しちゃってるようです。
え、マジか、そんな知らん間に別の機関の違う施設の地下に来ました、みたいなことがあり得るのか。
ぐだぐだ歩いてると、マレー美術館(カタルーニャの彫刻家、フレデリク・マレー)の中庭が見える場所に出ました。ていうか、マレー美術館の地下にも遺構があります云々とものの本にあってノートにメモってたんだけど、じゃあ、いまそこにいるってことなのかしら?
地下を出たあたりで種明かしをするかのように登場した、この辺一帯の構造物の移り変わりを解説する動画。三次元空間を時間軸込みでなんとか解説しようとしてくれてるんですけど、認知が追いつかないし英語もないしで、ちょっとギブアップかも。
そういえば中学数学で立体図形の問題だけは最後までどうしても解き方がわかんなかったなあ、という苦い想い出がよぎる。
さらに進むと↑でっかい広間らしきところに出たのですが・・・、あれ、この半円形ドーム、ものの本で見たことあるな。
ティネル広間、先述の、大航海から帰還したコロンブスにイサベル女王とフェルナンド王が謁見した場所だときいてますが、どうやら知らん間にたどり着いたようですね。
なんだその、史跡に知らん間にたどり着く、ってのは。
で、そこからさらに先に進もうとするんだけど、その先はどっちにどう行ったらいいのか、わかんない。
小部屋らしきところに絢爛豪華な祭壇、けど、そこは行き止まり。(ここはサンタ・アガタ礼拝堂)
唯一、何の表示もサインもないガラスの扉がひとつあって、そこにセキュリティらしきベストの人がなんか座ってて、たまに入って来ようとする観光客をなぜか追い返す仕草をしてる。
重層な歴史を持つ遺構も、こうなってくるとリアル脱出ゲーム会場めいてくるな。
ん、待てよ。入ってくる人を追い返す、ということは、つまり・・・。
「えっと、ここ、出口?」
「そう」
わかるか!
そして出ると。
なんと、王の広場に戻ってきましたな。
すみません、結局あたしはどの史跡をどう見学したことになったんでしょうか?
なんだこの、ダンジョン型MLA連携は。
そして気がつけば、ここでも1時間以上堪能していたのでした。
ヤバいぞこの街、ほんとのほんとに、終わらん。


















































