今日の「本読み」メモ:『なぜ古い本を網羅的に調べる必要があるのか』

U-PARL,荒木達雄編. 『なぜ古い本を網羅的に調べる必要があるのか : 漢籍デジタル化公開と中国古典小説研究の展開』. 文学通信, 2023.
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909658647

 ざっと読んだ抜き書き。
 水滸伝の意義、文学研究とテキストへの問いの可能性、人文研学問の有り様、等。
 そこにデジタルアーカイブがどう絡むかについては、本書全体を通して。

「U-PARLがどのように資料のデジタル化に取り組んできたのかや、なぜ予算も人員も限られる中で東京大学が所蔵する数ある善本の中から『水滸伝』の諸本をデジタル化公開の対象に選んだのか、これは決して単純に担当者が『水伝』の専門家だからというわけではなく、たとえば「三志演者』でも『西遊記』でもなく」
「『水滸伝』の古い本などあちこちにたくさん残っているのに、どうしてそれらをできる限り網羅的に調査する必要があるのか。その調査によっていったいどういうことが見えてくるのか。これは裏を返せば、こういった資料をデジタル化公開する意義とは何なのか」
「『水滸伝』は、最初の近代的文学作品と呼んでよいのではないでしょうか。つまり『水滸伝』を研究することは単に『水滸伝』を研究するというにとどまるものではないのです。中国において近代的な読書がどうやって生まれたのか、現代中国語はどうやって生まれたのか、そして中国文学における現実描写はどうやって確立したのか」
「実は『水滸伝』版本研究から近代とは何かということに対する答えが得られるのではないか」

「白話文学研究では、版本研究と校勘作業は、その異同の相を把握して、分析していく作業ということで、極めて本質的な意味を持ちます。つまり白話文学研究では校勘作業自体が文学研究である」
「十九世紀のフィロロジーの中心的な問題の一つはやはりキャノン(経典とか聖書)の問題」「ところが、白話小説や白話文学は、そうした経典化から、ずれる部分があるわけです。そうすると、『水滸伝』や白話文学は、古代文学的にレパートリーとして読むのでもなく、そこに近代的な作者を認めるのでもなく、さらにはキャノンを探求するのでもない、どれでもない別の可能性がひょっとするとあるのではないか」
「経典だったら何がその最終的なテキストなのかという問いが可能ですが、そうではないとすると、いかなる問いが可能なのでしょうか。特にこの二十一世紀になって、デジタル化を通じて白話のテキストを読もうとしている際に、いかなる問いが可能なのでしょうか」

「興味のある人は好きだろうが、知らない人から見れば一体何の役に立つのかという代物です…「位置」を無理にひねりだすことなどない、それぞれにやるべきことをやっている人々が集まりさえすれば研究は自然につながり、大きな世界を作り上げる…さまざまな研究の居並ぶなかにすわらせてもらえれば、おまえがいる位置はここなのだよと教えられ…ですから、研究者一人をつかまえて「おまえのやっていることにはいったいなんの意味があるのか」と問い詰めるようなことはどうかお控えいただきたい」