ネットが無かった30年前の学生はどうやって勉強してたのか、という想い出がたり 検索編

 とあるご縁、とあるところからの依頼で、30年前、スマホもインターネットも無かった頃って、大学生はどんなふうに勉強してたんですか?的なことを人に問われてお話しする、という機会があったので、そこでお話ししたことをまとめてみました。
 ご依頼が去年(2023年)のことなので、30年前だと1993年になります。その頃の我が輩ことegamidayさんは、京都のとあるホルモー的な大学の文学部生で、教養的雑多な学びから専攻の日本文学(註:「国文学」)、中でも古典文学(中世)を中心に勉強してたあたりで、演習・講読あり、レポートあり、翌年は卒論ありという身にありながら、ネットも無え、パソコンも無え、GoogleもCiNiiもJapanKnowledgeも無え、え、そんな状態でいったいどっからどう情報探してたんだっけ?ということを、思い出し想い出ししながら語る、というメモです。
 検索の日の1993、的な感じで。

 想い出ですのでいろんな補正やバイアスや記憶の穴、極私的な経験なのでムラや過不足が、もちろんあります。あと司書科目の受講はさらにこのあとなので、なんとこんなツールがあったのね、的なことを知るのも先の話です。

●カード目録、全部見る

 とは言え1993年当時、図書館のOPAC的なのは辛うじてありました、まあ「あった」だけでほんとに激辛の辛うじてですが。インターネットは無い(注:文系の一学生が普段遣いできるほどの普及ではない、の意)から、図書館のロビー的なところにゴテゴテと並んでた書院(説明略)の劣化版みたいな専用端末でだけ検索できるやつで、黒字にオレンジの液晶画面というレトロめいたやつで、とにかく漢字変換がポンコツで、しかも古典関連の固有名詞や専門用語など辞書変換してくれないから単漢字単漢字単漢字の連続で入力にやたら時間がかかる。処理能力が低いのか回線が狭いのか知らんが、検索結果が帰ってくるのにもフリーズしたと思い込まされるくらいにやたら時間がかかり、いったん書架に別の本探しに行って、戻ってきた頃に表示されてるかなと思いきや、結局ヒットしてくれてないという。
 ヒットしないと言っても、まずデータとしてあるはずなのにヒットしないパターン、そんなのは早くにあきらめてました。加えて「遡及入力」という概念があって、この学部の本や1980ン年以前の本はまだデータが入ってません、っていうじゃない、古典文学やろうっつってたら幾昔前の本も見なきゃなので、じゃあそれは今度はカード目録のほうも必須で検索しにいく、ということになります。当時はまだ、データベースとカード目録とを併行して更新してた頃だったりしたと思うので、だったら最初っからカード目録で探した方がよっぽど早いわい、ってなる。

 もちろんカード目録の書名も著者名も、大量にあるのを一枚一枚見なきゃいけないし、前方一致でしかないし、件名目録だってだいたいでしか使いものにならないってことは、小学校の頃に最寄りの公共図書館(註:西方の政令指定都市の区立図書館が通学路上にあった)で司書の人に教えてもらって使ってた頃から薄々感づいてたんですが、それでもそれっぽいあたりのカードを端からめくって見るほうがよっぽどマシ、って思えるくらいのOPACのヘッポコ具合だったとご理解ください。カード全めくりくらいはいちいち躊躇しない、つべこべ言わずに端から端まで全部並べて見せてみろ、ってやつです。
 なおこれは完全に余談ですが、当時の文学部図書室のカード目録は専攻分野ごとに分かれてて、そのうちの国文学専攻のカード目録は戦前からメンテされ続けてきたからでしょう、あろうことかヨミが旧仮名遣いで付与・配列されており(注:もしかして現役かも)、もちろん新着図書に旧仮名遣いヨミを付与できるほどのリソースが職員さん側にはすでに無いので、それをやるのが当時のうちの専攻の院生の仕事(=タダ働きにも程がある)でした。おかげでこういうこと>https://x.com/egamiday/status/1818426569632915813 はいまも気になる。

 そんな状態なので、まあ結局自分で本棚の前に立って全冊見通した方が早いよね、という帰結も致し方ないわけで、ブラウジングが大事、というよりは、ブラウジングほぼ一択の場面も少なくない。だから開架または入庫がマジで大事、死活問題、じゃなきゃ探せないんだもの。だから閉架措置はいま以上に炎上してたと思います。
 で、それを毎日やってたら、どの棚の何番目にどの本があるかはなんとなく覚えてるという。先生なんかは、入口から何歩行ったとこにこの本がある、足が覚えてる的な話をよくしてましたね。

 図書館での本の探し方はそうでしたが、買う本を探すツールとして自分は『日本書籍総目録』をよく使ってました。

 在庫がある(という建前)になってるから、それ見て買えるなら買おう、っつって。図書館でももちろん見るけど、そのころの本屋は大きめのところなら売り場の棚にたいてい置いてあってそれを見たり、駸々堂(注:喫茶店ではない)とかでもレジの後の棚にあるのを見せてもらって探してました。結局、買えるリスト、というのが安心感だったような気がしますね、入手できないと意味ないし。あとそのころは、本屋の店員さんに尋ねると業務用ので検索してくれてたような気もする。新刊書店ではバイトした経験が無いのでそのあたりはよくわかんないです。古書店も、古書でありそうな本はだいたい図書館にあったので、バイトをちょっとしてたくらいの距離感、このへんは対象が近世や近代の人はだいぶ事情が違うと思います。

 で、図書館のお仕事に就く直前くらいにwebOPACが出たりして、いやいや、いままでの苦労わい、てなりますよね。

●カンと眼力で論文を探す

 レポートから卒論にとりかかり始めると、論文検索が本格的に必要になってくるんですけど、理工系はもちろん知りませんが、オンラインの文献データベースで古典文学の論文を探すなんてことはあり得なかったので、冊子体の雑誌記事索引をひたすら目でスキャンしていく、という感じでした。
 日外アソシエーツさんが出してる論文索引が、日本の古典文学(とか、なんとか学という分野ごと)で、例えば19○○年から○○年までの10年間に出た論文を、「徒然草」とか「何々」とかの作品ごとやトピックごとに分類してリストアップしてくれてるので、まずそれを見ます。

 それが10年ごととか15年ごととかで定期的に分冊刊行されてるんだな、っていうことがわかるので、遡って(古典文学分野なので数十年はざらに)確認していきます。
 ですけど紙の索引なので、「徒然草」項目のページに載ってないけど徒然草に関係あるかもしれない論文、というのはそのままでは探せない、例えば、源氏物語や漢詩の論文の中に徒然草が言及されてるかもしれないと思うと、そちらの項目のページも念のため見に行く。そこはだいたいカンです。しかも論文タイトルに「白居易と徒然草」みたいに明確に書いてくれてたらまだ探せる(注:たぶんそのタイトルなら「徒然草」項目にあがってる)んですけど、「白居易と鎌倉文学」とか「白居易と仏教文学」とか「白居易と随筆」みたいに書いてる論文があると、………あ、あ、ちょっと待って、いまのもしかしたら関係あるんちゃう? って、がんばって目を留めないといけない。カンと眼力です。なお、「白居易と鎌倉文学」だと『日本文学』分野の論文索引に収録されてくれてるからまだよくて、「白居易の日本への影響」の中にも徒然草の言及あるかもみたいになると、中国文学分野だか日本史分野だか国語学分野だか、わからないので、気がつくと、もう何時間も参考図書書架のまわりをうろちょろしてるし、机に知らん分野の雑誌記事索引が山積みになったりしてました。
 しかも、ほんとに徒然草の言及あるのか、あったとして自分のほしい情報なのか、それはもう本文読むまでわからない。

 本文読むまでわからない、ってことは本文読みにいかなきゃいけないわけで、そこがまたリンクでPDFとかではない、うちの大学はまだわりと雑誌類のバックナンバーをたんまり持ってるセンターのようなとこだったからマシかもですが、学内に無いとなると、このへんから「所在情報」の探索が必要になってきてたような気がします。つまり、近隣の自転車で行ける大学図書館にあるのか、遠方しかなくてILL文献複写のサービスを利用することになるのか、それによって、このあと取る行動もかかる時間・お金もがらっと変わる。ネットが無いということは、距離が行動の分かれ道になるということですね。CiNiiはもちろんNACSISWebcatすらギリギリまだ無くて、『学術雑誌総合目録』という、いまではどこの図書館でも邪険に扱われてそうな紙ツールですけども当時はこれ無しには夜も日も明けない神ツールだったので、それで確認すると、どうも近隣の大学図書館には無い、でももしかしたら市内の府立図書館や総合資料館とかにワンチャンあるかも(注:当時そんな言葉は無い)と思って、岡崎や北山まで自転車で行って、そこにあるカード目録や冊子目録ひいて、無くて帰ってくる、ていう。
 ちなみに、探してるのが雑誌なら『学術雑誌総合目録』でわかるんだけど、図書の場合はレファレンスカウンターできくと、業務用の魔法のパソコンで調べてくれてたので、あれがたぶんNACSIS-CATかなんかだったんでしょう。
 で、遠隔の文献複写取り寄せになると、申し込みもオンラインじゃないから、開館時間中に図書館のカウンターに行って、専用の申込用紙に一枚一枚手で記入して、しかもその時には『学術雑誌総合目録』の雑誌書誌IDを自分で書かないと受け付けてもらえないから再度ひきに行って、その後のバックヤードの処理がどれくらいオンラインなのかは知りませんが、届くのを2週間くらい待つ、いまこれ書いてて、それでも随分便利になったんだなあとは思うのですが、肝心の文献がPDFで届く時代になってないんだからいまほんとに21世紀?て思いますよね。
 それで2週間待って、数百円払って、読んでみたところが、内容的には箸にも棒にも引っかからない。その繰り返しだったような気がします。なお、理工系の論文にはアブストラクトなる夢のような仕組みが存在する、と知ったのは司書系の勉強を始めるもう少し後の話です。

 冊子体の雑誌記事索引の話に戻ると、日外さんなんかは索引編纂に長けた出版社でしょうけど、とはいえ、古典文学に特に強い出版社とかではないので、わりとポロポロ漏れてる雑誌や論文もあったと思うんですが、それを補うのに『国文学年鑑』というのがあって、その年の研究動向と基礎情報なんかに加え、その年に発表された国文学分野の論文がごっそり収録されてるので、それも見る、っていうことをしてました。

 え、じゃあ最初からそっち見ればいいのではとも思うのですが、年鑑は年鑑で索引として使いやすいというわけでもなかったからかな、ちょっとよくわかりません。『国文学年鑑』はすでに継続刊行されてないですが、その論文情報が現在の国文学研究資料館のデータベース(国文学・アーカイブズ学論文データベース(https://ronbun.nijl.ac.jp/))につながってるわけです。そのデータベースの前身はあのころにもあったかどうかちょっと覚えてませんが、あったとて一学部生が普段遣いできたわけではないんでしょうたぶん。東京の国文研まで実際に行けば使えたんだろうか。

 あとは、いわゆる芋づる式、先生・先輩・友達に聞く、著者(研究者)から探す、というようなお決まりなやつですけど、その他に、日本文学や古典文学は研究者人口だけでなく学生人口も多いし、ていうか一般読者にもリーチする分野なおかげだと思うんですが、概説・通史・叢書のような書籍が、比較的短い期間にたくさんの出版社から出るのでそれが使える、というのと、専門雑誌(『国文学』『解釈と鑑賞』の類)が何年かに1回特集を組んでくれるので、そこに文献情報もたくさん載る、そう考えると随分恵まれた分野だったんだなとは思いますね。
 もちろん、ということはすでに研究し尽くされてる分野(しかも数百年前から)ということなので、じゃあどうするんだっていうのはまた別の話です。

 で、そうやって入手した論文情報をどうしてたかっていうと、パソコンやExcelはありませんから、まず索引の該当ページをコピーして大事に持っておきますけど、私の場合は結局その頃からそういうのが好きだったというか性に合ってたんだろうということですが、ワープロ専用機(後述)におまけ的に付いてるようなデータベース機能みたいなのがあって、それに入力してフロッピーディスクで管理してました。してましたね、地道過ぎるだろうといまでは思いますが。
 そんなことするのはたぶん自分くらいで、一般の学生は、先生に教わったプラス幾ばくかの芋づるや索引、くらいだったんじゃないですかね。

 なおここまでで、NDLの『雑誌記事索引』、冊子もCD-ROMも登場してないですが、正直、使ってたか使ってなかったかの記憶があまりありません。たぶんですが、日外と年鑑でできたリストに、さらに補うべきようなものがそこには無かったんじゃないか、と思います。そのへんは分野によってだいぶちがうんでしょう。

●自転車で古本屋にひきに行く

 調べごとをするのはだいたい紙の辞書・事典です。
 電子辞書の類は、当時はまだ無かったかあったとしても高級品だったはずで、逆にだいたいの学生は自宅生でも下宿生でもマジメでも不マジメでも、国語事典(広辞苑の類)と英和和英と選択語学の辞書くらいは当たり前に持ってたと思います。

 これはまた専攻で特殊な事情になりますが、そもそも日本文学関連の研究は「言葉の意味を調べる」のが本業のようなもので、これでもかというくらいありとあらゆる言葉の調べ方とそのツールを、先生から授業・演習などで教わってました。しかも、全部紙ですからアップデートとかしないので、「あの辞書のあの項目に書いてるあの表記は間違い」とか、口伝されてたりしたと思います。なんなら、研究室や文学部図書室の辞書なんか見ると、誤りを誰かが手書きで訂正書きこんでたりしてました。

 で、自宅にある辞書・事典ではわからないことがあると、図書館にある参考図書をひきに行くことになります。図書館に、ひきに行くんですね。学内にいるときならまだしも、自宅にいても、そこから図書館へ。
 なおその頃の図書館はいまどきのように開館日も多くなく時間も長くなかった、専門の辞書がある学部図書室なんかさらに短いので、図書館が開いてないときには、大学周辺に古本屋がたくさんあって、そこにあれが長年売れてなくて同じ場所にずっとあるってわかってるから、それをひきに行くとか。そこになくても、丸善とか駸々堂(注:書店のほう)まで自転車飛ばせば結構そろってるので、見に行ったり。
 そういえば勉強に関係ない、地図とか時刻表とか、お店や施設の情報、料金とか開いてる時間のようなのって、結構あたりまえのように本屋さんに調べに行ってましたけど、ネットが使えるようになってそういうこともグッと減りましたね。

 で、ここからがまた極私的な特殊事情なんですが、egamidayさんは学生のときクイズ研究会的なところにいたので、専攻等とはまったく関係のない分野の参考図書でも、基本的なのはなぜかちょいちょい自宅に持ってて、それを使って自分で問題作成したりするということをしてました。いっさい興味無いのに、スポーツのルールブックとかあったりするわけです、試合自体見たことないのにね。
 そういった意味でも自分にとって何かを調べることは日常茶飯事だったですが、この分野こそ、インターネットのbeforeとafterとで気が遠くなるほど事情が違うだろうと思うんですが、まあこれも別の話です。

 クイズはさておき、不慣れな分野の授業・レポートのためにも調べ物は必要だし、日本文学のために漢籍や漢字を中国語の参考図書で、というようなシーンもあるので、そういう時、まわりのふつーの学生はどうだったかわかりませんが、自分は図書館を使うのに躊躇抵抗がなかったほうなので、レファレンスカウンターにもちょいちょいお世話になってた記憶があります。たぶん、調べてもらうというより、調べ方探し方を教えてもらう、だったと思いますが。
 なんせデータベースなら特にいまどきのものは、不慣れな分野のことを調べるにしたってふわっとキーワードを入れれば何かしらとっかかりが見つかるし、ましてや複数のデータベースを横断的に検索できる夢のシステムがあるから、分野の違いを意識する必要すらなくなりそうですが、紙の参考図書しかないと、まずどの分野のどの参考図書を手に取ってみたらいいか、からわかんないので、そういう未知の参考図書・ツールのことを聞きにカウンターに行ってたと思います。この分野の論文はこれを見る、この索引はこう使う、これでこれがわかったら次はこれを使う、知らん学部の図書室・資料室の戸のたたき方等々、といった感じのことです。そういうことを教わる存在でした。

 といったようなことを、いまから振り返ると相当たいへんだなあと思いはするものの、正直言うと、その全部が自分にはおもろかったんですよね。探し甲斐があった、というより、探す行為がおもしろかったし好きだった、なんならほんとに探せたかどうかは二の次くらいで、ダメダメな話ですが、卒論にかける時間のほとんどを文献探索に使っちゃっており、中身の研究はほとんどできなかったし、やってなかったし、やらなくてもそっちのほうがおもしろかった、なんてことはたぶんまわりのふつーの学生はやんないだろうと思います。
 そういう意味でいうと、いまどきの行き届いた情報環境の中で学生をやっていたら、果たしてその後、司書になろうなどという気になっただろうかどうかは、わかりません。まあ、たぶん、他の何らかの動機でなってたんだろうとは思いますけど。

 ちなみに、レファレンスカウンターで聞いてたのがそういう内容だったことを踏まえて思い出すと、当時の司書課程の参考調査の授業はその大半が、世の中にはこういう参考図書がある、という感じのあれでした。長澤雅男著『情報と文献の探索 : 参考図書の解題』、というやつです。ただ、ごめんなさい、このころにはもうデータベースがちょいちょい登場しつつある過渡期で、もう使われなくなるというかどんどん未更新状態になっていくんじゃないのか、と思ってて、あまりちゃんとは見てませんでしたが。
 そういった意味では、それまでの参考図書や参考業務の講義は、世の中の情報の探し方や整理の仕方を上から規定する権威的なもの、のようになんとなく見えちゃうのが苦手だったのかもしれません。情報なんかしょせん何かの素材か通過点でしかないんだから、フラットにしてりゃいいのに、的な。しかも、既知の参考文献で調べられる範囲で調べて、結果、それって本当に調べ切れたことになるんだろうか、という疑念。もちろんそのころそんな言葉で考えたことなどなかったですけどね、想い出語りというのは昔語り以上に今語りですね。

 あと、これらも全部アナログというか紙媒体なので、部分一致検索も全文検索もあるわけではなく、『国史大辞典』にしろ『群書類従』にしろとりあえず最初から最後まで全部ページめくって見るのも躊躇せずやってた、というのもカード目録と同様です。索引とかも、をも見よ参照か何か知らんが、半端に信用するくらいだったら全部見る、ていう感じでした。
 時間と視力だけはいまよりずっとありましたから。

 後半へ続く。