続・ネットが無かった30年前の学生はどうやって勉強してたのか、という想い出がたり 情報環境編

 前半はこちら;
 https://egamiday.sakura.ne.jp/egamiday3plus/20240820/318/
 その続きのよもやま話です。
 

●ワープロをくくって運ぶ

 当時は、学生の身分でもがんばってバイト代を貯めればワープロを買えたくらいだったので、自分もがんばって買いました。ワープロ専用機というやつですね、でっかくて重くて画面が小さくて、データはフロッピーディスクに保存する、という。
 まず、でっかくて重いので、図書館や教室には持ち込めないです、モバイルではない。基本的に、紙でコピーとったりノートに書いて持ち帰ってきたものを、家で入力するためのツールです。前述のように、論文情報を収集して、その書誌データをワープロのデータベース機能の中に入力するんですが、そのリストを、大学へは持ってけないけど図書館やどこかやで参照はしたいから、自宅でリストをインクリボンで紙に印刷して、その紙束をカバンに入れて持ち歩いてました。註釈が永遠に要りそうですが、ワープロ専用機のデータを保存したフロッピーディスクを、大学のパソコンに入れて読めるような互換性はないし、そもそも大学に学部生が自由に使えるパソコン自体がまだ稀少だし、肝心の講義室や図書館では使えないわけなので、データ入力したあとでもメインのメディアはまだ全然紙のままでしたよね。
 あと夏休みに1ヶ月くらい帰省するのに、そのでっかくて重いワープロを持って帰りたくて、ロープでくくって肩紐をつけて、18キップで鈍行列車に持ち込んで12時間かけて運ぶ、という苦行もしてました。じゃあなんで宅配にしないのかと言えば、そんなところにお金かけれるなら18キップで帰省しないです。
 そのワープロも、でもやっぱり当時はまだ過渡期の終盤くらいの感じで、学部によっては卒論はワープロ禁止、先生によってレポートはワープロ禁止、みたいな話もまだちょいちょい聞いてました。さすがに自分が卒論を出す頃にはあまり聞かなかったかもしれませんし、ていうか、これはなんとなくの印象ですが、文学系の先生たちって文系の他の分野の先生よりもワープロやパソコンを導入するのに抵抗ない、むしろ早いほうだったんじゃないかという気がします。自分の文章を自由に活字化して自由に印刷できる、って文学系には大好物のツールだろうと思うので。
 とはいえ、全学生や全先生がワープロを持ってるわけでもないので、授業で配られるレジュメ(先生作のも学生作のも)はまだまだ手書きだし、もっと言うと文学系のレジュメだと本文テキストや参考文献を紙でコピーして該当箇所をハサミと糊で切り貼りして作るので、そこにワープロの文字までわざわざ印字してから切り貼りするのはめんどくさく、結局はだいたいのレジュメが手書きになりますよね。そんなんよう作ってたな、マジでいま便利すぎる。

 なお(ワープロ専用機ではない)パソコンのほうについては、小・中でMSXを使った時期があって以降、久しくご無沙汰でしたが、ちょうど1993年くらいに学内にパソコンを置いてある教室ができて、文学部の学生であっても限定的にIDを発行してやる、そこの教室で使わせてやる、週1の情報の授業で使い方を教えてやる、みたいな、いまから考えるとけっこう出し惜しみしてるなという感じの環境があって、そこで、読みづらいちまちました画面とリアル脱出ゲームのようにわかりにくいユーザインタフェースで使える電子メールというのがあって、週1で遠隔の理系の友人とメール送りあいとかしてました。なんかもう思い出すだけで肩が凝るようなパソコン体験で、結果として得られるのは牛の毛ほどのリテラシーですけど。
 それから2年後くらい(院生)に、所属研究室のWindows95パソコン(共用)に入ってる一太郎で、修論書きました、その頃になるとフロッピーディスクを持ち歩けるようになるという(注:自宅のワープロとの互換性はもちろんない、あれどうしてたんだろう??)。さらにその2年後くらいに、図書館の閲覧スペースに自由にインターネットが使えるパソコンが数台置かれ、なんか年中コミケやってる(註:好きなことを執筆してパブリッシュできる環境、の意)ようなところなんだな、という認識のもと、あ、たぶん自分はいち早く”あっち側”に行かなければならない、という本能的な直感を得て、その翌年くらいにとっとと就職して得たサラリーでWindows機を購入し、自宅から接続したインターネットでホームページを発信するに至る、というのもこれも完全に別の話ですね。

●歩くKansai Walker・人間食べログ

 なんだっけ、そんなふうにパソコンもインターネットもまだまだ夜明け前で、携帯電話も平野ノラと大差ないくらいだったので、大学での勉強だけでなく、日常生活もデジタルとはほど遠い感じだった、という導入です。

 そういう感じだから、カバンには常に本が何冊か入ってる、これはいまも入ってますが、新聞・雑誌の類こそ当時は必ず入ってたという感じですね。新聞なんか、当時は貧乏下宿生であっても当たり前のようにお金払って取ってたし、いまスマホ見るような隙間のタイミングで当時見てたのが新聞・雑誌だったなと思うと、まあそりゃ売れなくなりますよね。
 空き時間に触れるメディアとして、さほど音楽を聴く習慣のなかった自分でさえも、レンタル屋さんでCD借りてカセットにダビングして流してるということはなぜかやってて、そういう時に行くのがツタヤだったんですけど、そういう習慣もなくなっちゃったしみんなもレンタルビデオは配信で見るようになったから、そりゃツタヤさんも図書館商売に手を出すしかしょうがなくなるよな、という感じです。
 あと音楽だけでなく、常に耳寂しい「ながら族」だったので、たしか安い携帯ラジオとイヤホンをカバンに常備してたような気がします。中高からラジオはよく聞いてたし、大学の頃もちょうどαステーションの開局が91年で家では流しっぱなしだったはずなんですけど、これもいつの間にか聞くことがなくなったのとインターネットの登場とに因果関係があるかどうか、ちょっとよくわかりません。

 あとはカバンに京都市内の地図を常備してた記憶があります、お寺とかよく行ってたし、それこそよその大学や図書館行くのに必要なので。それとよく使う駅の時刻表とか、市バスの路線地図。
 それからアドレス帳の類も必ず入ってる、これが無いと友人と連絡取れないからですけど、でもその番号も自宅/下宿の電話番号だし、当時はまだ留守番電話機能がある友人とない友人といたりしたから、連絡が取れたり取れなかったりするし、大学で会った時に「何曜日の何時ころ家に居る?」って確認したり、親しい友人なら取ってる講義やバイトやサークルの曜日時間は覚えてて、居そうな時間に電話するとかですよね。
 そんなんだから、どこかへ行く待ち合わせにしても、数日前に会った時に予定をしめしあわせておく、もし待ち時間にあらわれなかったらこうする、何分までは待つとか、先に行くとかまで決めておく。事前に決めずに人に会おうとしたら、とりあえず下宿に行ってみて、居たら会えるし居なかったら会えない、まあそんなもんですよね。
 どこかへ行くっていうのも、どこに何があって、何駅から何バスで、何時から何時までやってていくらかかる、みたいなことは全部事前に本や雑誌(ガイドブックやぴあやなんとかウォーカー的なの)で調べておかないといけないか、公衆電話から電話番号案内で番号聞いて、電話かけてそれを聞く、とかいう感じだったと思うんですけど、そういう時、コミュニティというか連れ立ってるグループの中にひとりかふたり、そういう情報にやたら詳しい人とかがいるわけですよね。どこそこでどういうことができて、どういうイベントがあって、どうやって行ったらいい、みたいな人がいると、人気出るというか頼られますよね、歩くKansai Walkerやあって、いやウォーカー言うてるやん、的な。
 あるいは人間食べログみたいな人もいて、サークル終わりや勉強会終わりにどっか行こうってなると、近所の喫茶店・定食屋・居酒屋について、あそこは何時からあいてる、何曜日定休、この時間なら空いてて、何人用の席があるから、いまいる人数が入れるはず、って言いながら、カバンから手帳取り出して公衆電話から店に電話して、あ、じゃあ10分後くらいに行きます、っていう。
 スマホが無い分、そういうことができる人とできない人では行動の仕方がちがったんだろうなと思います。

 情報収集する方はもちろんですが、発信する方はもっとそのできるできないの差はえげつなかったかもしれません。
 とはいえ、当時学生が何かを発信するというと、サークルや勉強会の広報や情報発信くらいでしょうか。もちろんネットもSNSも無いから、基本はビラを大量に印刷して、大学内の壁という壁に貼りまくり、教室という教室の机に置きまくる。壁、っていうか掲示板があるにはあるはずなんだけど足りるわけがないから壁に貼るんですけど、その壁にも他のサークルがすでに貼ってあるのを、その上に重ねて貼る、そうすると後日通りかかるとよそのサークルがその上に貼ってあるから、またその上に貼る。そういうのを、今度は清掃員の人が大量にはがして捨てていくので、空いたところにまた貼っていく。それの延々繰り返し、SDGsも何もあったもんじゃないですけど。
 あとは自主シンポや演劇の類はだいたい立て看で広報されてましたし、生協書籍部とか近所の定食屋・喫茶店にビラを貼ってもらったり置いてもらったり、食堂に三角柱(厚紙を4つ折りにして三角柱をつくって、側面におしらせを書く)を置かせてもらったり、とにかくネット以外のありとあらゆるアナログメディアを駆使してという感じですが、検索してヒットするというわけではないので、伝えたい相手がふだん見る場所通る場所はどこだろうというのを探しては、そこに情報を投げて行く、という感じです、そういう意味での発信リテラシーは当時も必要だったんだなと思います。

 あと、校舎内にフリーの黒板があって、いろんなサークルや勉強会が、次の例会は何月何日何時からどこどこ教室です、みたいのを自由に書きこんで、通りがかりにそれを見て確認するし、なんなら、へー、そんな勉強会あるんだ、催しあるんだ、って興味持って顔を出しに行く、みたいなこともよくありました。
 そういうところに、いまでは考えられないですけど、代表者や世話人の自宅の電話番号とか書いてあるんですよね、でも別にそんなのふつーだったと思います。壁に貼ってあるビラにしたって、連絡先たる一学生の下宿の電話番号(注:たぶん自宅生はさすがに忌避してたと思われる)が書いてあって、なんなら勧誘目的のビラだと、ビラの下の端っこに細かく縦に切れ込みを入れて、切れ端のひとつひとつに名前と電話番号が書いてあって、要は興味ある人はそれちぎって持って帰れるというやつですね。そんなのは学内の至る所に貼ってあり、バイトのお知らせとかもそういう感じで貼ってあって、あたしがお世話になった編集プロダクションのバイトもそうやって見つけました。いまだとQRコードとかになるんでしょうね。

●結論:インターネット万歳!

 総じて、情報を探す/入手するのが、困難だったり時間かかったり不安定だったり、あるいは接する情報が限定されてたり。とは言え、こういう話になると、現代と違ってネット情報が氾濫しておらずフェイクもなく厳選されていたのでは、ということになりがちかもしれませんが、厳選されているということとそれが正しいかどうかというのは別の問題であって、接する情報が限定されていると正しいかどうかの検証すらできないので、そりゃまあ、入手できるなら多くて多様であるにこしたことはないです。

 ただ違いがあったとするなら、なんとなくですけど、当時は、情報がまちがってたら、まちがってたね、で終わってた気がします。わからなかったら、わからなかったね、連絡取れなかったら、取れなかったね、会えなかったら、会えなかったね、で。もちろんそれは日常生活や学生の勉強レベルの話ですけど。卒論や修論くらいだと、どこそこのあの本やあの資料は確認できてない、ってなった時に、あの本は手に入りにくいからね、あの資料持ってるあそこは閲覧厳しいからね、という時代から、デジタルアーカイブでもNDLデジタルコレクションでも見れるのになんで確認してないんだ、っていう時代に、いやもちろん見れるほうが圧倒的にいいんだけど、一方で情報が入手できないことやそれに付随するトラブルに、そこまでシリアスでもカリカリもしてなかったような気はします。それはたぶん、「これで探せたことになるのか」「これで見つからなかったと言えるのか」がわからないというか、わかりようがなかったので、適当にあきらめてたっていうことなのかなと。
 家電なんか、だいぶ適当に買ってましたよね、店に行ってそこに置いてあるものをそのまま買って帰ってくるくらいだったのが、いまだと山ほどある機能をネットで見比べて、100円なり1000円なり安いものを必死に探して、ってどうしてもなっちゃう。
 探しやすさ、見つかりやすさ、アクセスしやすさはいまのほうがもちろんいいんだけど、反面、見つけられなかったとき、まちがってることに気づけなかったとき、気づけなかった人の責任になる、しかも大量のゴミ情報をふまえたうえで、っていうんだったら、そのあたりの世知辛さはかつては無かったのかもしれない。
 参照:「現代人って、諦めるのが難しい。」( https://note.kishidanami.com/n/n97e94cc7ea07 より)

 とは言え。
 ネットが無かった頃のマシだった点を無理くり探し出したとして、↑たぶんこれだけです
 あとはもう、ね。
 いまの、情報が多くて多様で、メディアも複数あって、ツールは探しやすく見つかりやすいほうが、圧倒的に良く、それを知ったからには30年前の状態のほうが良かっただの戻って良いだの、口が裂けても言えないです。
 何か調べようというときに、図書館が開くまで待つとか、電話かけて聞くとか、カード目録や国史大辞典を全部見るとか、もう絶対無理です。全部見るとセレンディピティが起きる、っつったって、そんなのは不良がたまに見せる優しさが素敵に見える、程度の与太話に過ぎないわけです。Googleマップ無しでは、海外出張どころか国内旅行すらいまさら無理だと思います、太川陽介じゃないんだから。
 カバンに入れる本だって、学生の頃はお金がないから文庫になるのを待ってたものを、いまではスマホのKindleで読めるようになるまで待ってます、文字サイズ大きくしないと、老眼がきついので。そういえばあのころ、年かさの先輩のアドバイスに「研究を仕事にするつもりなら、論文のコピーはB4に拡大しておいたほうがいい、高齢になって読むのがつらくなるから」というのがありましたが、まさかその数年後にはPDFで自由に拡大して読めるようになるとは思いませんよね。

 というわけで、デジタル最高!インターネット万歳!、というお話にとりあえず今日のところはしておきます。

今日の「CA読み」メモ・夏の誓文払い: 地域映像、舞台演劇のアーカイブ、江北図書館、文化財データリポジトリ・文化財オンラインライブラリー 他

・E2661 – 豊かなコミュニティのための公共図書館サービス(米国)
https://current.ndl.go.jp/e2661
「報告書では特に、40.8%の図書館が非公式ながらも行っている「食料不安の改善」に向けたサービス(E2602参照)について言及している。フードバンク等の地域団体と提携し、図書館を拠点に無料の食事キットを配布する取組等を紹介している」

・E2663 – 第88回IFLA年次大会目録分科会<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2663
「現存の生成AIを目録作成に転用するのではなく、目録作成に特化させたAIツールを開発するのが望ましい」

・E2665 – 「市民活動資料」所蔵3館による合同シンポジウム<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2665
「市民アーカイブ多摩は、市民が運営するアーカイブとして、資料を作る人・整理する人・使う人が集い、提案し、話し合いながら作っていく公共空間」

・E2667 – SPARC Japanセミナー2023<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2667
「SPARC Japanセミナー2023「即時OAに備えて:論文・データを「つかってもらう」ためのライセンス再入門」「当日の講演資料や動画はSPARC Japanのウェブサイトにて公開されているので、詳しくはそちらを参照されたい。」

・E2668 – ダブリンコアとメタデータの応用に関する国際会議(DCMI2023)
https://current.ndl.go.jp/e2668
「メタデータをシンプルに保つことの重要性…メタデータの項目を増やして過剰に詳細化するのではなく、リンクトデータによって、利用者が必要な時に必要なデータを参照できるかたち

・E2669 – デジタル時代のオランダ国立図書館の挑戦<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2669
「図書館が社会的な価値を提供し続けていくには、一機関としての成功だけを考えるのではなく、連携して社会的な課題に取り組むことで、一機関では達成できない成果を実現」

・E2671 – 安全で包摂的な図書館サービス運営の実践ガイド(英国)
https://current.ndl.go.jp/e2671
「例えばコレクション管理の場合、公共図書館は利用者のニーズに対して価値判断をせず、多様な情報や意見、アイデアへの自由なアクセスを提供することが最も重要となる。そのため、時には過激とされるような主張が書かれた資料や時代遅れとされるような資料を提供することもある。それらの資料の扱いや、知的自由の保障という図書館の理念と資料を提供することによる地域社会への影響について、場合によっては地域の人々と共に協議し、決定しておくことが求められる。そしてその決定は文書化する必要がある」

・E2673 – ドーナツ・プロジェクト2023シンポジウム<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2673
「2023年12月13日、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館主催により、シンポジウム「ドーナツ・プロジェクト2023―舞台芸術に携わる人のためのアーカイブガイドブックつくりました―」」
「米国演劇のアーカイブを支援する団体American Theatre Archive Project(ATAP)発行による演劇アーカイブのマニュアル“Preserving Theatrical Legacy”を2022年度に和訳し、本事業のウェブサイトで公開した。しかし、興行形態や創作過程が米国とは全く違う日本の舞台芸術業界のアーカイブ活動では、そのまま参照することは難しい。そのため2023年度には、日本の舞台芸術アーカイブに特化した手引書を作成した」
「これまで舞台芸術界では、一つの作品や公演に関する資料が多岐に渡るため、それらを残すことに注力してこなかった」
舞台芸術に携わる人々が作品やその創作過程などを「残す」意識を持つように変化していく必要があること、そのためには本事業で作成したガイドブックや権利処理などの知識を提供する場が必要であること」

・E2676 – 「鳥取県立鳥取西高等学校デジタルコレクション」の公開
https://current.ndl.go.jp/e2676

・E2682 – いしかわデジタルアーカイブ講座&ディスカッション<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2682
「にいがたMALUI連携・地域データベース」「新潟大学が地域の個人や組織と連携して発掘した映像メディアをアーカイブした「地域映像アーカイブ」」
デジタル化によりこのような映像資料などが実は膨大に存在することが顕在化し、地域資料の活用の在り方が変わっていくのではないか」

・E2684 – 脚本アーカイブズシンポジウム2024<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2684
「司会の吉見氏はアーカイブを地域に根付かせる重要性を「祭り」に重ね、文化の継承こそアーカイブの重要な仕組みではないかと結び」

・E2685 – Z世代・ミレニアル世代の図書館利用と読書事情(米国)
https://current.ndl.go.jp/e2685
「米国デジタル公共図書館(DPLA;E2188参照)が運営する図書館向けの電子書籍販売サイト“Palace Marketplace”(E2432参照)で、Amazon PublishingやAudibleのコンテンツへのアクセス権を購入できる」

・E2690 – 「JATDT舞台美術作品データベース」の公開とその意義
https://current.ndl.go.jp/e2690
「終戦直後の舞台美術家は、沢山の資料・書籍を残してきた。しかし、約30年前、当時大学生であった筆者は、大学の図書館以外でこれらの情報を探し出すことが出来なかった。現在は教職に就いているが、学生から、「舞台美術に関する情報がない」「どう勉強したら美術家になれるのかがわからない」「調べてもほとんど出てこない」と常々言われてきた。インターネットは進化したが、アナログ要素の多い舞台美術は、この30年間あまり進歩してこなかったように感じる」

・E2692 – 図書館を未来につなぐ江北図書館の活動<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2692
 全編勉強になる話

・E2693 – 京都の文化と生物多様性:標本のデジタル化の意義<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2693

・E2695 – 「これからの地域資料データの継承・共有を考える」<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2695

・E2698 – 加西市立図書館における「加西STEAM」への取組
https://current.ndl.go.jp/e2698
「STEAMのA(芸術・リベラルアーツ)を重視することを心がけてきた。それは、図書館のイベントだけでは本格的な技術や知識を習得することは難しいため、できるだけ感性に訴えかけられる内容にし、一度の機会でも印象に残るようにする」
家庭でも学校でも満たすことのできない好奇心を満たせる場所が必要なのではないか。そうした要求に応え、「ここにくれば面白いことができる」という場所でいられるように」

・E2699 – データ再利用性と論文アクセス性の向上に向けた奈文研の取組
https://current.ndl.go.jp/e2699
奈良文化財研究所・高田祐一
「奈良文化財研究所(奈文研)では、2024年1月に「文化財データリポジトリ」を、また同年3月に「文化財オンラインライブラリー」を全国遺跡報告総覧(以下「遺跡総覧」)のウェブサイト内で公開した」
「調査や論文を単位とするデータセット(調査時の計測データ、写真や論文に掲載する図面、3次元データ等)を登録する」「3次元データをそのまま扱うことで、情報の欠落なく貴重な調査成果を新たな研究観点で再利用できる」「各データは、個別に利用ライセンスが設定され、ダウンロードできる」
「文化財オンラインライブラリーでは、論文を掲載できる。文化財データリポジトリに登録したデータセットを読み込むかたちで、論文にデータを利用できる」「PDF形式ではなくWebページ化することで、検索エンジンから劇的にアクセスされやすくなる」「ウェブページにて公開することで組版作業は不要になる。また登録作業がウェブ画面で行われるため、組版等のDTPスキルがない人でも登録が可能になる」「データごとにID管理するため、データ自体への引用を可視化できる」

・E2700 – 英国図書館へのサイバー攻撃に関する報告書
https://current.ndl.go.jp/e2700
「早期に従来の状態に戻すこととセキュリティ向上のための変更との間に生じる齟齬のリスク、技術部門のスタッフの人員不足等のリスク」

・E2701 – 第19回レファレンス協同データベース事業フォーラム<報告>
https://current.ndl.go.jp/e2701
「レファレンスサービスでは、答えを探すことを中心に考えてしまいがちであり、それはAIを利用する際にも同様である。しかし、「学ぶ」というのは「答えのないこと」を追究することであり、レファレンススキルについても、そうした「分析」にまで踏み込んだスキルが求められるのかもしれない」

ネットが無かった30年前の学生はどうやって勉強してたのか、という想い出がたり 検索編

 とあるご縁、とあるところからの依頼で、30年前、スマホもインターネットも無かった頃って、大学生はどんなふうに勉強してたんですか?的なことを人に問われてお話しする、という機会があったので、そこでお話ししたことをまとめてみました。
 ご依頼が去年(2023年)のことなので、30年前だと1993年になります。その頃の我が輩ことegamidayさんは、京都のとあるホルモー的な大学の文学部生で、教養的雑多な学びから専攻の日本文学(註:「国文学」)、中でも古典文学(中世)を中心に勉強してたあたりで、演習・講読あり、レポートあり、翌年は卒論ありという身にありながら、ネットも無え、パソコンも無え、GoogleもCiNiiもJapanKnowledgeも無え、え、そんな状態でいったいどっからどう情報探してたんだっけ?ということを、思い出し想い出ししながら語る、というメモです。
 検索の日の1993、的な感じで。

 想い出ですのでいろんな補正やバイアスや記憶の穴、極私的な経験なのでムラや過不足が、もちろんあります。あと司書科目の受講はさらにこのあとなので、なんとこんなツールがあったのね、的なことを知るのも先の話です。

●カード目録、全部見る

 とは言え1993年当時、図書館のOPAC的なのは辛うじてありました、まあ「あった」だけでほんとに激辛の辛うじてですが。インターネットは無い(注:文系の一学生が普段遣いできるほどの普及ではない、の意)から、図書館のロビー的なところにゴテゴテと並んでた書院(説明略)の劣化版みたいな専用端末でだけ検索できるやつで、黒字にオレンジの液晶画面というレトロめいたやつで、とにかく漢字変換がポンコツで、しかも古典関連の固有名詞や専門用語など辞書変換してくれないから単漢字単漢字単漢字の連続で入力にやたら時間がかかる。処理能力が低いのか回線が狭いのか知らんが、検索結果が帰ってくるのにもフリーズしたと思い込まされるくらいにやたら時間がかかり、いったん書架に別の本探しに行って、戻ってきた頃に表示されてるかなと思いきや、結局ヒットしてくれてないという。
 ヒットしないと言っても、まずデータとしてあるはずなのにヒットしないパターン、そんなのは早くにあきらめてました。加えて「遡及入力」という概念があって、この学部の本や1980ン年以前の本はまだデータが入ってません、っていうじゃない、古典文学やろうっつってたら幾昔前の本も見なきゃなので、じゃあそれは今度はカード目録のほうも必須で検索しにいく、ということになります。当時はまだ、データベースとカード目録とを併行して更新してた頃だったりしたと思うので、だったら最初っからカード目録で探した方がよっぽど早いわい、ってなる。

 もちろんカード目録の書名も著者名も、大量にあるのを一枚一枚見なきゃいけないし、前方一致でしかないし、件名目録だってだいたいでしか使いものにならないってことは、小学校の頃に最寄りの公共図書館(註:西方の政令指定都市の区立図書館が通学路上にあった)で司書の人に教えてもらって使ってた頃から薄々感づいてたんですが、それでもそれっぽいあたりのカードを端からめくって見るほうがよっぽどマシ、って思えるくらいのOPACのヘッポコ具合だったとご理解ください。カード全めくりくらいはいちいち躊躇しない、つべこべ言わずに端から端まで全部並べて見せてみろ、ってやつです。
 なおこれは完全に余談ですが、当時の文学部図書室のカード目録は専攻分野ごとに分かれてて、そのうちの国文学専攻のカード目録は戦前からメンテされ続けてきたからでしょう、あろうことかヨミが旧仮名遣いで付与・配列されており(注:もしかして現役かも)、もちろん新着図書に旧仮名遣いヨミを付与できるほどのリソースが職員さん側にはすでに無いので、それをやるのが当時のうちの専攻の院生の仕事(=タダ働きにも程がある)でした。おかげでこういうこと>https://x.com/egamiday/status/1818426569632915813 はいまも気になる。

 そんな状態なので、まあ結局自分で本棚の前に立って全冊見通した方が早いよね、という帰結も致し方ないわけで、ブラウジングが大事、というよりは、ブラウジングほぼ一択の場面も少なくない。だから開架または入庫がマジで大事、死活問題、じゃなきゃ探せないんだもの。だから閉架措置はいま以上に炎上してたと思います。
 で、それを毎日やってたら、どの棚の何番目にどの本があるかはなんとなく覚えてるという。先生なんかは、入口から何歩行ったとこにこの本がある、足が覚えてる的な話をよくしてましたね。

 図書館での本の探し方はそうでしたが、買う本を探すツールとして自分は『日本書籍総目録』をよく使ってました。

 在庫がある(という建前)になってるから、それ見て買えるなら買おう、っつって。図書館でももちろん見るけど、そのころの本屋は大きめのところなら売り場の棚にたいてい置いてあってそれを見たり、駸々堂(注:喫茶店ではない)とかでもレジの後の棚にあるのを見せてもらって探してました。結局、買えるリスト、というのが安心感だったような気がしますね、入手できないと意味ないし。あとそのころは、本屋の店員さんに尋ねると業務用ので検索してくれてたような気もする。新刊書店ではバイトした経験が無いのでそのあたりはよくわかんないです。古書店も、古書でありそうな本はだいたい図書館にあったので、バイトをちょっとしてたくらいの距離感、このへんは対象が近世や近代の人はだいぶ事情が違うと思います。

 で、図書館のお仕事に就く直前くらいにwebOPACが出たりして、いやいや、いままでの苦労わい、てなりますよね。

●カンと眼力で論文を探す

 レポートから卒論にとりかかり始めると、論文検索が本格的に必要になってくるんですけど、理工系はもちろん知りませんが、オンラインの文献データベースで古典文学の論文を探すなんてことはあり得なかったので、冊子体の雑誌記事索引をひたすら目でスキャンしていく、という感じでした。
 日外アソシエーツさんが出してる論文索引が、日本の古典文学(とか、なんとか学という分野ごと)で、例えば19○○年から○○年までの10年間に出た論文を、「徒然草」とか「何々」とかの作品ごとやトピックごとに分類してリストアップしてくれてるので、まずそれを見ます。

 それが10年ごととか15年ごととかで定期的に分冊刊行されてるんだな、っていうことがわかるので、遡って(古典文学分野なので数十年はざらに)確認していきます。
 ですけど紙の索引なので、「徒然草」項目のページに載ってないけど徒然草に関係あるかもしれない論文、というのはそのままでは探せない、例えば、源氏物語や漢詩の論文の中に徒然草が言及されてるかもしれないと思うと、そちらの項目のページも念のため見に行く。そこはだいたいカンです。しかも論文タイトルに「白居易と徒然草」みたいに明確に書いてくれてたらまだ探せる(注:たぶんそのタイトルなら「徒然草」項目にあがってる)んですけど、「白居易と鎌倉文学」とか「白居易と仏教文学」とか「白居易と随筆」みたいに書いてる論文があると、………あ、あ、ちょっと待って、いまのもしかしたら関係あるんちゃう? って、がんばって目を留めないといけない。カンと眼力です。なお、「白居易と鎌倉文学」だと『日本文学』分野の論文索引に収録されてくれてるからまだよくて、「白居易の日本への影響」の中にも徒然草の言及あるかもみたいになると、中国文学分野だか日本史分野だか国語学分野だか、わからないので、気がつくと、もう何時間も参考図書書架のまわりをうろちょろしてるし、机に知らん分野の雑誌記事索引が山積みになったりしてました。
 しかも、ほんとに徒然草の言及あるのか、あったとして自分のほしい情報なのか、それはもう本文読むまでわからない。

 本文読むまでわからない、ってことは本文読みにいかなきゃいけないわけで、そこがまたリンクでPDFとかではない、うちの大学はまだわりと雑誌類のバックナンバーをたんまり持ってるセンターのようなとこだったからマシかもですが、学内に無いとなると、このへんから「所在情報」の探索が必要になってきてたような気がします。つまり、近隣の自転車で行ける大学図書館にあるのか、遠方しかなくてILL文献複写のサービスを利用することになるのか、それによって、このあと取る行動もかかる時間・お金もがらっと変わる。ネットが無いということは、距離が行動の分かれ道になるということですね。CiNiiはもちろんNACSISWebcatすらギリギリまだ無くて、『学術雑誌総合目録』という、いまではどこの図書館でも邪険に扱われてそうな紙ツールですけども当時はこれ無しには夜も日も明けない神ツールだったので、それで確認すると、どうも近隣の大学図書館には無い、でももしかしたら市内の府立図書館や総合資料館とかにワンチャンあるかも(注:当時そんな言葉は無い)と思って、岡崎や北山まで自転車で行って、そこにあるカード目録や冊子目録ひいて、無くて帰ってくる、ていう。
 ちなみに、探してるのが雑誌なら『学術雑誌総合目録』でわかるんだけど、図書の場合はレファレンスカウンターできくと、業務用の魔法のパソコンで調べてくれてたので、あれがたぶんNACSIS-CATかなんかだったんでしょう。
 で、遠隔の文献複写取り寄せになると、申し込みもオンラインじゃないから、開館時間中に図書館のカウンターに行って、専用の申込用紙に一枚一枚手で記入して、しかもその時には『学術雑誌総合目録』の雑誌書誌IDを自分で書かないと受け付けてもらえないから再度ひきに行って、その後のバックヤードの処理がどれくらいオンラインなのかは知りませんが、届くのを2週間くらい待つ、いまこれ書いてて、それでも随分便利になったんだなあとは思うのですが、肝心の文献がPDFで届く時代になってないんだからいまほんとに21世紀?て思いますよね。
 それで2週間待って、数百円払って、読んでみたところが、内容的には箸にも棒にも引っかからない。その繰り返しだったような気がします。なお、理工系の論文にはアブストラクトなる夢のような仕組みが存在する、と知ったのは司書系の勉強を始めるもう少し後の話です。

 冊子体の雑誌記事索引の話に戻ると、日外さんなんかは索引編纂に長けた出版社でしょうけど、とはいえ、古典文学に特に強い出版社とかではないので、わりとポロポロ漏れてる雑誌や論文もあったと思うんですが、それを補うのに『国文学年鑑』というのがあって、その年の研究動向と基礎情報なんかに加え、その年に発表された国文学分野の論文がごっそり収録されてるので、それも見る、っていうことをしてました。

 え、じゃあ最初からそっち見ればいいのではとも思うのですが、年鑑は年鑑で索引として使いやすいというわけでもなかったからかな、ちょっとよくわかりません。『国文学年鑑』はすでに継続刊行されてないですが、その論文情報が現在の国文学研究資料館のデータベース(国文学・アーカイブズ学論文データベース(https://ronbun.nijl.ac.jp/))につながってるわけです。そのデータベースの前身はあのころにもあったかどうかちょっと覚えてませんが、あったとて一学部生が普段遣いできたわけではないんでしょうたぶん。東京の国文研まで実際に行けば使えたんだろうか。

 あとは、いわゆる芋づる式、先生・先輩・友達に聞く、著者(研究者)から探す、というようなお決まりなやつですけど、その他に、日本文学や古典文学は研究者人口だけでなく学生人口も多いし、ていうか一般読者にもリーチする分野なおかげだと思うんですが、概説・通史・叢書のような書籍が、比較的短い期間にたくさんの出版社から出るのでそれが使える、というのと、専門雑誌(『国文学』『解釈と鑑賞』の類)が何年かに1回特集を組んでくれるので、そこに文献情報もたくさん載る、そう考えると随分恵まれた分野だったんだなとは思いますね。
 もちろん、ということはすでに研究し尽くされてる分野(しかも数百年前から)ということなので、じゃあどうするんだっていうのはまた別の話です。

 で、そうやって入手した論文情報をどうしてたかっていうと、パソコンやExcelはありませんから、まず索引の該当ページをコピーして大事に持っておきますけど、私の場合は結局その頃からそういうのが好きだったというか性に合ってたんだろうということですが、ワープロ専用機(後述)におまけ的に付いてるようなデータベース機能みたいなのがあって、それに入力してフロッピーディスクで管理してました。してましたね、地道過ぎるだろうといまでは思いますが。
 そんなことするのはたぶん自分くらいで、一般の学生は、先生に教わったプラス幾ばくかの芋づるや索引、くらいだったんじゃないですかね。

 なおここまでで、NDLの『雑誌記事索引』、冊子もCD-ROMも登場してないですが、正直、使ってたか使ってなかったかの記憶があまりありません。たぶんですが、日外と年鑑でできたリストに、さらに補うべきようなものがそこには無かったんじゃないか、と思います。そのへんは分野によってだいぶちがうんでしょう。

●自転車で古本屋にひきに行く

 調べごとをするのはだいたい紙の辞書・事典です。
 電子辞書の類は、当時はまだ無かったかあったとしても高級品だったはずで、逆にだいたいの学生は自宅生でも下宿生でもマジメでも不マジメでも、国語事典(広辞苑の類)と英和和英と選択語学の辞書くらいは当たり前に持ってたと思います。

 これはまた専攻で特殊な事情になりますが、そもそも日本文学関連の研究は「言葉の意味を調べる」のが本業のようなもので、これでもかというくらいありとあらゆる言葉の調べ方とそのツールを、先生から授業・演習などで教わってました。しかも、全部紙ですからアップデートとかしないので、「あの辞書のあの項目に書いてるあの表記は間違い」とか、口伝されてたりしたと思います。なんなら、研究室や文学部図書室の辞書なんか見ると、誤りを誰かが手書きで訂正書きこんでたりしてました。

 で、自宅にある辞書・事典ではわからないことがあると、図書館にある参考図書をひきに行くことになります。図書館に、ひきに行くんですね。学内にいるときならまだしも、自宅にいても、そこから図書館へ。
 なおその頃の図書館はいまどきのように開館日も多くなく時間も長くなかった、専門の辞書がある学部図書室なんかさらに短いので、図書館が開いてないときには、大学周辺に古本屋がたくさんあって、そこにあれが長年売れてなくて同じ場所にずっとあるってわかってるから、それをひきに行くとか。そこになくても、丸善とか駸々堂(注:書店のほう)まで自転車飛ばせば結構そろってるので、見に行ったり。
 そういえば勉強に関係ない、地図とか時刻表とか、お店や施設の情報、料金とか開いてる時間のようなのって、結構あたりまえのように本屋さんに調べに行ってましたけど、ネットが使えるようになってそういうこともグッと減りましたね。

 で、ここからがまた極私的な特殊事情なんですが、egamidayさんは学生のときクイズ研究会的なところにいたので、専攻等とはまったく関係のない分野の参考図書でも、基本的なのはなぜかちょいちょい自宅に持ってて、それを使って自分で問題作成したりするということをしてました。いっさい興味無いのに、スポーツのルールブックとかあったりするわけです、試合自体見たことないのにね。
 そういった意味でも自分にとって何かを調べることは日常茶飯事だったですが、この分野こそ、インターネットのbeforeとafterとで気が遠くなるほど事情が違うだろうと思うんですが、まあこれも別の話です。

 クイズはさておき、不慣れな分野の授業・レポートのためにも調べ物は必要だし、日本文学のために漢籍や漢字を中国語の参考図書で、というようなシーンもあるので、そういう時、まわりのふつーの学生はどうだったかわかりませんが、自分は図書館を使うのに躊躇抵抗がなかったほうなので、レファレンスカウンターにもちょいちょいお世話になってた記憶があります。たぶん、調べてもらうというより、調べ方探し方を教えてもらう、だったと思いますが。
 なんせデータベースなら特にいまどきのものは、不慣れな分野のことを調べるにしたってふわっとキーワードを入れれば何かしらとっかかりが見つかるし、ましてや複数のデータベースを横断的に検索できる夢のシステムがあるから、分野の違いを意識する必要すらなくなりそうですが、紙の参考図書しかないと、まずどの分野のどの参考図書を手に取ってみたらいいか、からわかんないので、そういう未知の参考図書・ツールのことを聞きにカウンターに行ってたと思います。この分野の論文はこれを見る、この索引はこう使う、これでこれがわかったら次はこれを使う、知らん学部の図書室・資料室の戸のたたき方等々、といった感じのことです。そういうことを教わる存在でした。

 といったようなことを、いまから振り返ると相当たいへんだなあと思いはするものの、正直言うと、その全部が自分にはおもろかったんですよね。探し甲斐があった、というより、探す行為がおもしろかったし好きだった、なんならほんとに探せたかどうかは二の次くらいで、ダメダメな話ですが、卒論にかける時間のほとんどを文献探索に使っちゃっており、中身の研究はほとんどできなかったし、やってなかったし、やらなくてもそっちのほうがおもしろかった、なんてことはたぶんまわりのふつーの学生はやんないだろうと思います。
 そういう意味でいうと、いまどきの行き届いた情報環境の中で学生をやっていたら、果たしてその後、司書になろうなどという気になっただろうかどうかは、わかりません。まあ、たぶん、他の何らかの動機でなってたんだろうとは思いますけど。

 ちなみに、レファレンスカウンターで聞いてたのがそういう内容だったことを踏まえて思い出すと、当時の司書課程の参考調査の授業はその大半が、世の中にはこういう参考図書がある、という感じのあれでした。長澤雅男著『情報と文献の探索 : 参考図書の解題』、というやつです。ただ、ごめんなさい、このころにはもうデータベースがちょいちょい登場しつつある過渡期で、もう使われなくなるというかどんどん未更新状態になっていくんじゃないのか、と思ってて、あまりちゃんとは見てませんでしたが。
 そういった意味では、それまでの参考図書や参考業務の講義は、世の中の情報の探し方や整理の仕方を上から規定する権威的なもの、のようになんとなく見えちゃうのが苦手だったのかもしれません。情報なんかしょせん何かの素材か通過点でしかないんだから、フラットにしてりゃいいのに、的な。しかも、既知の参考文献で調べられる範囲で調べて、結果、それって本当に調べ切れたことになるんだろうか、という疑念。もちろんそのころそんな言葉で考えたことなどなかったですけどね、想い出語りというのは昔語り以上に今語りですね。

 あと、これらも全部アナログというか紙媒体なので、部分一致検索も全文検索もあるわけではなく、『国史大辞典』にしろ『群書類従』にしろとりあえず最初から最後まで全部ページめくって見るのも躊躇せずやってた、というのもカード目録と同様です。索引とかも、をも見よ参照か何か知らんが、半端に信用するくらいだったら全部見る、ていう感じでした。
 時間と視力だけはいまよりずっとありましたから。

 後半へ続く。

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